弱小国には統一はできない
韓国紙セゲイルボ
精神武装怠れば他国に蹂躙
三国時代、弱小国新羅は世界最強の唐軍18万をはね除け、遼東半島から追い出した。千年後、丁卯胡乱(1627年、後金のホンタイジ=太宗が李氏朝鮮に侵攻した戦役)で朝鮮に攻め込んだ後金の軍隊はせいぜい3万にすぎなかったが朝鮮は蹂躙(じゅうりん)された。
新羅より人口も多く国土も大きい朝鮮の沈没原因は共同体の精神武装がなかったことだ。朝鮮は自ら国を保管する意思がなかった。中国を天下の中心と信じ、中国だけ崇(あが)めていれば安保は“心配無用”と考えた。中国の“傘”の下にいれば、自分の身が雨に濡れることは絶対ないと信じた。周辺国の情勢を見ながら、軍事力を育てた三国時代とはあまりにも違う。
共同体構成員の態度も同じだ。高句麗、新羅、百済では戦争が起きれば指導層が先頭に立った。しかし朝鮮の指導層にはこうした「ノブレス・オブリージュ」(指導層が持つ道徳的義務)情神は存在しなかった。貴族層は兵役義務から除外されていたし、兵役負担は民に押し付け、彼らから収奪するのに忙しかった。
朝鮮が中国の“傘”を信じていたように、われわれは米国の“安保の傘”を固く信じている。今回の北核実験の後、米国の長距離戦略爆撃機B52が韓半島上空を飛行した。米国は韓国の情勢が不安ならば航空母艦まで送る頼もしい友邦だ。
しかし、いつまで友がわれわれの命を守るだろうか。北京の天安門望楼に上れば、中国がわれわれに“傘”を貸すだろうか。
国民の安保意識は目も当てられないほど低い。兵務庁の資料を見ると、4級以上の公務員の10・3%が兵役免除を受けているという。男性国会議員では軍隊に行かない人が20%を超える。全体兵役免除率6%を大きく上回る。
統一はただでもらえる贈り物ではない。外部勢力を借りて、百済と高句麗を押し倒した新羅には、後からもっと強力な敵が登場した。唐は新羅までのみ込もうとした。同じようなことが起きないと誰が言えようか。
自らを守ることができない弱小国には統一はできない。新羅の統一も中国との8年戦争の果てに可能だったことだ。「花郎」精神で指導層が先頭に立って多くの若者たちが戦場で血を流した結果であった。
国家指導層が兵役を回避し、国のために血を流した若者が優遇さえ受けることができない風土こそ、北朝鮮の核よりも恐ろしい安保意識の現状だ。
(裵然國(ペヨングク)首席論説委員、1月29日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。