日本の「集団的自衛権行使」 韓国人の拒否感の背景に100年前の記憶
韓国紙セゲイルボを読む
米国が日本のの安倍政府の「集団的自衛権」行使を事実上支援している昨今の状況を、大多数の韓国人は複雑で息苦しい心境で眺めている。
米国は韓国動乱(1950~53年)を契機に、日本を東北アジア安保戦略の要衝国家とする絵を描いてきた。このことを念頭に置くならば、米国が9・11テロ以後、世界的な対テロ活動の過程で、自衛隊の積極的な集団防衛努力を引き出そうとしたことは当然の手順だ。
米国は永らく日本の集団的自衛権行使を待ち望んできた。現行の平和憲法体制では米国軍艦が敵国によって、攻撃を受けても、自衛隊は援助行為を一切できないためだ。
小泉首相とともに米日蜜月時代を謳歌(おうか)したジョージ・W・ブッシュ米政府は、米日の円滑な同盟作戦遂行のために、日本の集団的自衛権行使を積極的に要求したし、日本を今より強い防衛力を備えた「普通の国家」にするという構想を立てたりもした。
困ることになったのは韓国だ。韓米同盟を韓半島安保の主軸としている韓国は米日同盟の強化基調に反対するのは難しい。さらに財政赤字に苦しむ米国が日本と共に東北アジア安保の負担を分担しようとすることに反対するのは一層難しい。
それでも米日の外交・国防長官らが会って祝杯を挙げている姿には、なぜか拒否感が先立つ。大多数の韓国人の感情もそうだろう。
こうした漠然とした拒否感の背景には、100年前の旧韓末の集団記憶もあるだろう。当時、自力で己の国を守れなくなった朝鮮は米国を相手に生存外交に死活を懸けて、裏切られた痛恨の経験がある。
高宗(コジョン)は朝鮮と米国の間に締結された朝米条約の「居中調停」条項に期待をかけ、日本の朝鮮侵略を防ごうとしたが、当時米国の国益は日本と手を握ることだった。もちろん21世紀の米国は朝鮮に冷淡だった100年前の米国ではない。日本も帝国主義時代へ回帰することはできない。
ところが、日本と手を握って中国を牽制(けんせい)しようとする米国は生まれつき大陸勢力と海洋勢力の間で生存戦略を模索してきた半島国家の地政学的苦情を加重させている。
米国を背負って、ためらいなく過去の歴史・領土挑発を行う日本は韓国人の意識の中にある100年前の記憶をよみがえらせた。
日本が徹底した過去の歴史反省の土台の上で「普通の文明国家」に生まれ変わらず、米国が韓日の歴史葛藤に手をこまねいていれば、日本の正常国家化も、米国の東北アジア安保戦略も全て完成されない。
(趙南圭〈チョナムギュ〉外交安保部長、10月30日付)