社会を成熟させる“怒り”のエネルギー
韓国紙セゲイルボ
光復70年が流れた。韓国を見回せば“怒り”が広まった社会だ。瞬間的な怒りを堪えられずに爆発する「怒り調節障害」が随所で見られる。
ところで韓国社会の“怒り”がいつも否定的だったわけではない。時に肯定的な怒りから力を得ることもあった。
1950年、韓国動乱で多大な被害を受け、人々は怒りの中に沈んだ。しかし、これは生存に必要な怒りだった。光復後の約15年間を「生存怒り社会」ということができる。
1961年以降、経済開発政策が推進され産業化が本格化。高度経済成長、「漢江の奇跡」を起こす。良い暮らしをしようという一人一人の怒りのエネルギーが原動力になった。まさに「発展怒り社会」だった。援助を受けた国が支援する国へと跳躍した。一人一人の生活もより一層豊かになった。
こうした豊かな物質主義社会になって、われわれの怒りは他方に転じた。他人との比較によって感じられる不公正さや悔しさに集中することになったのだ。
こうした否定的な怒りは責任転嫁、猜疑(さいぎ)と嫉妬の心理に連結し、否定的な社会の雰囲気を作って、結局互いを傷付ける。国を興した「肯定怒り」より、社会全体を奈落に落とす「不正怒り」だけが量産されているのだ。
このままではいけない。常に他の人と比較しながら、相対的剥奪感によって不幸を感じる怒りの人生から抜け出してみよう。自分がもう少し成熟すれば、他人に対する配慮と寛容も生じる。
まさにこのようなエネルギーがこれから韓国社会をより一層成熟させるはずだ。
(郭錦珠(クァククムジュ)ソウル大教授・心理学、9月7日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。