米大使襲撃事件が気付かせたもの
韓国紙セゲイルボ
外交官は自国の国益守る存在
リッパート駐韓米国大使が襲撃された消息を聞いて、数年前の趙承熙(チョスンヒ)事件を思い出した。2007年4月16日、韓国と米国を驚かせた事件だ。
当時バージニア工科大4年生だった韓国系永住権者・趙が銃器を乱射して32人の学生の命を奪い、自らも命を絶った。米国史上、単一犯による銃器殺人事件で最もおぞましい事例として記録されている。
心配した通り、大使襲撃事件以後、韓国社会では“集団罪悪感”“自責感現象”が現れた。米大使の回復を祈る心は理解するが、犬の肉(韓国で病気快癒によいとされるが、大使は愛犬家)を病院へ持っていってひざまずいて謝罪したり、扇の舞いを舞って快癒祈願を行うなどは、ただきまりが悪いだけだった。
趙承熙事件で米国人の怒りが韓国と韓国人へ向かうという憂慮が取り越し苦労に終わったように、今回の事件でも米国人の反応は冷静だった。米政府は初めから事件の性格を個人による暴力行為と受け止め、「韓米同盟は無分別な暴力行為で影響されない」とした。
韓米で不協和音が増幅しかねなかった危機を大使が救ってくれたという評価がある。折しも、シャーマン国務次官の発言で韓国内の雰囲気が尋常でなかった時期に事件が発生した。次官は歴史問題で加害者の肩を持つような発言を行ったため、韓国で波紋が広がっていたのだ。事件は激高した世論を鎮めた。
それでも、リッパート大使を英雄視して済むことではない。冷徹な現実認識が見えなくなってしまう。シャーマン次官の発言は米国の内心を率直に表している。韓国と日本を眺める米国の見解をそのままのぞくことができるものだ。
ある外交関係者に米国内の韓国と日本の地位を尋ねたことがある。彼は、「歴代駐日大使を見れば答えが分かる」と言った。副大統領、上院議員、大統領の友人など、大物が駐日大使を務めている。米国の外交政策に占める日本の地位は韓国が考えるより大きい。
韓国社会には米国に対する漠然とした期待があるように、漠然とした反感もある。この前までサード(THAAD=終末高高度防衛)ミサイルの話には触れなかったが、大使襲撃事件が雰囲気をガラッと変えた。米軍はサード敷地選定調査まで終えたという。韓国社会の真剣な議論なしで状況が展開しているのだ。
リッパート大使が米国の国益のために外交戦線を守る外交官であることを改めて気付かせてくれる。
(朴ヒジュン・ワシントン特派員、3月16日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。