衰微する「古書店」文化 漢文教育の中止が影落とす
韓国紙セゲイルボ
半年に1度は必ず日本を訪ねる理由は古書店のためだ。東京・神保町に数日通い、「文字香、書巻気」に浸る時間こそ至福の時だ。中国・北京の琉璃廠通りもうっとりする。中国書店に立ち寄って古典籍の香りをかぎ、栄宝斎で過去の絵図を見物して画仙紙を買う。琉璃廠はいつも内外の学者、芸術家で騒がしい。
いつからか、われわれは隣の中国・日本の文化をさげすむクセを身に付けた。しかし、自国の伝統文物にどのように向き合うかを見れば、むしろわれわれは両国にはるかに及ばない。多少、韓流が人気を呼んだからといって、文化の先進国だと考えるのは大きな錯覚だ。
まず「古書」を「古本」と呼び、「古書店」を「古本屋」と呼ぶのを見ても、われわれが自身固有の文化遺産をどれほど軽んじているかを知ることができる。朝鮮白磁を古い壷(つぼ)と呼ぶのと違わない。
琉璃廠、神保町とともに東アジア文化の3大宝庫であった仁寺洞(インサドン)は国籍不明の観光地に変質してしまった。古書店、美術館は急激に減り、粗野な記念品が陳列された商店と伝統料理店を装った観光食堂でぎっしり埋まった。
日本は東京だけで300カ所、神保町だけで150軒を超える古書店がある。一方、韓国の古書店は全国に50カ所だけだ。大部分衰退の道を歩んでいる。老舗の廃業が続き、後継者は稼業継承を忌避する。難しく金にならないからだ。
華峯文庫の呂丞九(ヨスング)代表は韓国古書店が没落した理由を三つ挙げた。まず国民が本を読まない風土のためだ。2番目、後進的な古書流通秩序。三つ目、専門的識見と豊富な経験と知性を備えた古書店主人が少ないことだ。古書籍商は書誌学者に劣らない見識を備えなければならず、学者を凌駕(りょうが)するほど、よく勉強すべきだが、そうした金にならないことに人生を捧(ささ)げる若者が珍しいということだ。
しかし、韓国古書店文化没落の最も大きい原因は読者にある。漢文教育が中止されたためだ。大学教授でさえ、漢文専攻者でなければ過去の文献を原典で読めない。さらにあきれたことは大部分の大学の教授研究業績評価で、ハングルで書いた論文点数が英語論文点数の半分にも評価されないという事実だ。こうした評価基準で誰が古書を読むだろうか。
自らの知識文化を貴重に思わなければ、誰がわれわれを尊く見るだろうか。われわれは古くから活字文化先進国だ。東アジア時代を先導するには、誤った制度を壊さなければならず、それには人の考えから変えなければならない。まず「古本屋」を「古書店」に直そう。
(金武坤〈キムムゴン〉東国大教授・コミュニケーション学、1月17日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。