サッカーW杯と韓日間の反感


韓国紙セゲイルボ

1997年11月の感動思い出せ

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1997年11月1日、ソウルで行われたフランスW杯予選日韓戦を伝える日本の雑誌(サッカーダイジェスト97年11月19日号)

 最近、米紙ニューヨーク・タイムズに興味深いアンケート調査結果が載った。サッカーワールドカップ(W杯)出場19カ国の国民を対象に調査した結果、韓国回答者の38%、日本回答者の40%が、互いに相手国が最も最低の成績になることを願っているという結果が出た。政治だけでなく、サッカーでも韓日間の根深い反感が再演されているということだ。

 記者はサッカーファンの一人として、韓日両国民が1997年11月の感動を思い出すことを望む。当時、韓国は外国為替危機で国全体が不明瞭な状況だったが、蚕室オリンピック競技場は98年フランスW杯予選の韓日戦の熱気で盛り上がっていた。

 研修を終えたばかりの社会部記者であった本人は、上司の指示で蚕室競技場に向かった。サッカー取材でなく、競技場周辺で起こるかもしれない韓日サポータ間の衝突を取材するためだった。

 韓国は同年9月28日、東京で行われた1次戦で日本に2対1で逆転勝ちを収め、既に本戦進出が確定していた。日本は2戦目で韓国を倒さなければ、プレーオフでしか仏行きの切符を手に入れられなかった。

 約8万5000人の大観衆。初めて見る壮観だった。日本サポータも8000人以上が来ていた。韓日両国で約700人の取材陣が殺到していた。競技場に入るために長く並んだ日本人観客の間では緊張感が感じられた。警察は競技場周辺に約7000の機動隊を配置して、万が一の事態に備えた。

 だがそれは取り越し苦労であった。試合が始まると韓国サポータ「赤い悪魔」がいるスタンド2階に大型プラカードが登場した。「Let’s go to France together」(フランスに共に行こう)。日本応援団がざわめいていた。深い感動を受けた様子だった。

 その日の競技は韓国が0対2で敗れた。しかし、勝ち負けを超えて、韓日両国の応援団の間には妙な同志愛が芽生えた。両国はアジアサッカー最大のライバルであると同時に、サッカー辺境のアジアを世界に知らせなければならない同志であった。

 多くの人々が見過ごしているが、その時、交わした韓日間の情緒的交感は多くの結実を産んだ。それは2002年韓日W杯共同開催につながった。韓国は日本文化に市場を開放し始め、日本では韓流ブームに沸いた。

 スポーツが政治で汚染されるのではなく、汚染された政治を浄化する触媒剤になる可能性があることを確認した大切な経験だった。

(金桐振〈キムドンジン〉政治部記者、6月23日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。