「セウォル号」の足枷から脱出を
韓国紙セゲイルボ
危機を機会に変える先進国に
セウォル号惨事の余波で韓国民は失意に陥っている。共犯意識と安全後進国という自虐は国民を無気力の泥沼に押し込んだ。沈没したのは船舶だけでなかった。大韓民国の国の品格と自尊心が沈んだ。何より先進国跳躍の夢と自信まで沈没する現実は骨身に染みる。国家の危機だ。
しかし、ここで座り込むことはできない。大韓民国は本当に“未開な”三流国家か?冷静に確かめてみなければならない。
われわれはセウォル号惨事で絶望を見た。しかし同時に希望も見た。救命胴衣を譲って生徒の救助に当たった先生、秩序を保って指示を待った生徒たち、犠牲者家族と同じように泣いた数万人のボランティア。
乗客を捨てて逃げるのに忙しかった船員が後進国国民の醜態を見せたとすれば、先生と生徒、ボランティアの姿は先進国でも探し難い英雄的行動だった。
国民は災難対応の乱脈の様相に絶望する。しかし、これが韓国だけの問題であろうか。2011年3月の福島原子力発電所放射能漏出事故を見よう。当時、原発と東京電力、日本政府の無能さは、セウォル号惨事の船員と海上警察、政府に勝るとも劣らなかった。
原発職員の90%は指示を破って現場から脱走したし、東電社長は事故翌日に現場に到着した。政府統合対策本部が構成されたのも4日後であった。災難対応最高先進国だと自負する日本の素顔はこのように惨めだった。
米国も変わらない。2005年9月のハリケーン「カトリーナ」事態当時、深刻性を正しく看破できなかったブッシュ政府は住民避難令を出さなかった。初期状況判断の間違いと対応の遅さは、約2500人の死傷者を出した大型惨事の端緒となった。
行き過ぎた自己卑下は希望の芽を摘み取ってしまう。国民はもうセウォル号惨事の足枷(あしかせ)から脱出しなければならない。挫折感を追い落とせなければ大韓民国号は沈没する。安全な国建設も可能でない。
米国と日本はカトリーナ参事と福島原発事故以後、より一層安全な国になった。失敗から教訓を得て、災難対処能力を育てたためだ。危機を機会として活用する国が真の先進国だ。われわれが行くべき道だ。
大統領と政界、市民社会、国民全体が安全先進国建設のために知恵と力を集めなければならない時だ。改革に抵抗したり、惨事で政治的利益を得ようとする勢力は安全国家建設の敵である。
英歴史学者トーマス・カーライルはこのように言った。
「道を行って石が現れれば弱者はそれを障害物といい、強者はそれを踏み石と言う」
(金煥起〈キムファンギ〉論説委員、5月22日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。