原発事故現場からヒントを 韓国国会議員の福島初視察
韓国紙セゲイルボ
2011年3月、福島第1原発事故以後、原子力発電所をめぐる韓国の姿を見ていて想起するのは「無知」ということだ。
何もなかったように原発新設を決めながらも、国民の放射能への憂慮で魚市場は大打撃を受けている皮肉。原発には安易ながらも、原発が量産する放射能に対しては恐怖に震えるこの呆(あき)れた矛盾を見れば明らかだ。
12年4月、東京特派員として赴任する前まで、記者もまた彼らと大して違わなかった。具体的な認識や見解を持たず、断片的なニュースや噂(うわさ)の領域に留(とど)まっていた。原発問題はいつも「他人(ひと)事」であり、噂の中の放射能恐怖だけが感情を刺激した。無知からくる無関心と過剰反応である。
無知を超えるためには「現場」ほど威力のあるものはない。経験を通じて、理性は初めて豊かになり「頭」から「胸」に降りてくることができる。
その脈絡から正義党の金霽南(キムジェナム)、無所属の姜東遠(カンドンウォン)、民主党の張(チャン)ハナ議員が4日から3日間、福島地域を訪ねたことは、たとえ日本の「原発ゼロ国会議員の会」の招請だったとしても、11年3月の福島原発事故以後、韓国国会議員として初めて福島地域を訪ねたということで、意義がある。
彼らは福島の居住制限区域を見て回り、大きな被害を被った南相馬市の桜井勝延市長にも面会した。住宅や田畑を除染する様子も、海洋汚染実態とモニター現場も見た。
金議員は、「多くの照明で明るい韓国の国会とは違い、日本国会には電灯はいくつも点(つ)いていなかった」として、「日本は原発が止まった後、原発10個分に相当する電力を節約していた」と語った。
記者の場合、原発に対する考えが形成されたのは特派員赴任以後、毎年2月に行われる福島事故および脱原発現場取材が大きかった。特に最近、共同取材団の一員として事故原発内部を見て回ったのは忘れない。
免震重要棟で靴下を2重に履き、3重の手袋をはめた後、防護服にマスクを着けた時の苦しさ、ビニールの中に入れた汚染物質を背景に工事現場のような光景で、全面マスクに白い防護服を着用して被曝(ひばく)の恐怖の中で仕事をする東京電力作業員ら…。現場を見ながら、原発は「噂」の領域から「実存」の問題に近づいた。
原発賛否や放射能恐怖を言おうというわけではない。原発論争に先立ち、まず現場を見て調べて感じることが必要だということだ。
原発をめぐる意思決定構造の中にいる国会議員や大統領府および政府関係者、市民団体活動家は特にそうすべきである。福島という現場で答えが得られるわけではないだろうが、最小限ヒントは得ることができる。
(金容出〈キムヨンチュル〉東京特派員、3月17日付)