ホロコースト生き残り最年長者 ファインゴールド氏106歳で死去

 マルコ・ファインゴールド氏が先月19日、肺炎で亡くなった。106歳だった。オーストリアでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)生存者の中で最年長者だった。同氏は4カ所の強制収容所を生き延びたユダヤ人だ。彼は戦後、学校を訪問し、講演会に参加し、反ユダヤ主義、全体主義の恐ろしさを強く警告し続けてきた。ファインゴールド氏の歩みを紹介する。(ウィーン・小川敏)

4カ所の強制収容所を経験
「ナチスの蛮行」忘却を恐れる

 ファインゴールド氏は1913年、現在スロバキアのバンスカビストリカで生まれた。当時はオーストリア・ハンガリー王国の領土だった。彼は3人の兄弟姉妹とウィーン2区で成長した。同区にはナチス・ドイツ軍のユダヤ人弾圧が始まるまで多くのユダヤ人が住んでいた。1938年、ユダヤ人にとって運命の時を迎えた。ナチス・ドイツが同年3月ポーランドに入ったが、偽造旅券で再びプラハに戻り、2人の兄弟は反ナチのサボタージュなどに参加した。

マルコ・ファインゴールド氏

マルコ・ファインゴールド氏

 しかし、ゲシュタポに見つかり逮捕され、ポーランドのアウシュビッツ収容所に送られた。2人の兄弟はサボタージュに関与していたとして「懲罰部隊」に送られた。ユダヤ人の世界では「アウシュビッツでは長くても3カ月しか生きられない」と言われていた。

 2015年5月10日のオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「多くのユダヤ人は立ちながら死んでいった」と証言している。横にうつ伏せになって死ぬのではなく、立ちながら死ぬことがどのような状況かは体験しなければ理解できないことかも知れない。

 そこを生きて出ることができた。自身の体験を記述した本の中で、「自分は奇跡を信じないが、生きて収容所を出ることができたのは奇跡以外の何物でもなかった」と述懐している。そこで「殉死、屈辱、暴力、病気、特に、飢餓を体験し、目撃してきた」と述べている。

 自身も2カ月半の間に55キロあった体重が30キロになってしまったという。

 ファインゴールド氏は4カ所の強制収容所を生き延びた。アウシュビッツを皮切りに、ノイエンガンメ(独ハンブルク市ベルゲドルフ区の地域)、ダッハウ(独バイエルン州)、そしてブーヘンヴァルト(独テューリンゲン地方)だ。

 1945年4月11日、ブーヘンヴァルト強制収容所から解放された。解放後は、国内避難民としてオーストリアのザルツブルクで衣服業を始めた。1946年から47年、ザルツブルクの「イスラエル文化協会」の会長を務めている。

 ナチス・ドイツ軍の蛮行が忘却されることを恐れ、生涯6000回を超える講演で当時の体験・目撃談を語り続けてきた。「学校では当時のことが正しく教えられていない」と強く感じてきたという。

 また「オーストリア国民はナチス・ドイツの蛮行に対して真摯に向き合うことを回避してきた。多くの国民は『オーストリアはナチス・ドイツ軍の最初の犠牲国だった』と考えてきた。戦争捕虜を迎える時には音楽隊が歓迎したが、強制収容所の生き残りは歓迎されることがなかった」と述べている。

 ナチス・ドイツ軍の蛮行を厳しく批判する一方、ユーモアを失うことがなかった。「120歳になったら歓迎されるだろうが、自分はモーセのようには聖人ではないからね」と述べている。彼を知っている多くの知人は、「彼は決して恨みや憎悪を持たなかった。ルサンチマンがない人間だった」と証言している。罪を憎み、罪人を憎まなかったというわけだ。

 バン・デア・ベレン大統領は、「彼はナチス・ドイツ軍のテロの生き証人だ。彼は高齢になっても体験をわれわれに伝えるために命懸けだった」と評価。オーストリアのイスラエル文化協会のオスカー・ドイチュ現会長は、「ユダヤ人社会だけではなく、オーストリアにとって偉大な人物を失った」と述べている。