茶人で事業家・山田寅次郎 トルコとの友好の礎築く
トルコきょう95回目の建国記念日
遭難事故で義援金募る
日本とトルコとの友情の基礎を築いたとされる人物が、快男児・山田寅次郎だ。現在でも彼を慕うトルコ国民は数多い。
寅次郎は慶応2年(1866年)に沼田藩(現在の群馬県沼田市)の江戸上屋敷で、家老中村雄左衛門の次男として生まれた。15歳の時に後継ぎとして、茶道宗徧流(そうへんりゅう)家元の山田家に養子入りし、57歳の時に家元を襲名した。
トルコと接点を持つようになったきっかけは明治23年(1890年)、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号遭難事故だった。寅次郎は犠牲者遺族への寄付を思い立ち、親交のあった日本新聞社の陸羯南などから協力を得て、全国で演説会を開き募金活動を実施した。
義援金をオスマン帝国に持参し、熱烈な歓迎を受けた寅次郎は、首都イスタンブールで皇帝アブデュル・ハミト2世に拝謁(はいえつ)。この時に彼が献上した甲冑(かっちゅう)や大刀は、現在もトプカプ宮殿に保存されている。
その後寅次郎は、皇帝から軍の士官学校での日本語指導を依頼され、これを快諾。さらに日本との貿易事業を現地で始めるなど、長期にわたる滞在を決意した。
正式な国交のない日本とオスマン帝国の間で、寅次郎は民間大使のような役割を果たした。当時、イスタンブールを訪れた日本人は、皇帝・政府との交渉から観光案内に至るまで寅次郎に便宜を図ってもらっていたという。
その後、第1次世界大戦の勃発により帰国した寅次郎は事業家として成功。さらに1925年(大正14年)に設立された日土貿易協会の理事長に就任するなど、帰国後もトルコとの親善に尽力した。