「夜と霧」のヴィクトール・フランクル没後20年

「生の目的」探し、心の病に対処
現代人の魂を癒す精神分析学開拓

 生きていると、誰でも一度ぐらいは「何のために生きているのか」と思うことがある。生きている目的が分からなくなるのだ。ヴィクトール・フランクルは人生の目的を失った人々に「どの人生にも意味と価値がある」と説き、悩める魂に生きる力を与える精神分析学を開拓していった。そのフランクルが亡くなって今月2日で20年が過ぎたが、フランクルの精神分析学に「生きる意味」を求める現代人が増えてきている。
(ウィーン・小川 敏)

ヴィクトール・フランクル氏

オーストリアの精神科医、心理学者ヴィクトール・フランクル氏(Creative Commons/Prof.Dr.Franz Vesely)

 オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクルは1905年、ウィーンで生まれた。ジークムンド・フロイト(1856~1939年)、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)に次いで“第3ウィーン学派”と呼ばれた。ナチスの強制収容所の体験を基に書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界数十カ国語以上で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。

 フランクルの独自の実存的心理分析に基づく「ロゴセラピー」は従来の精神分析とは大きく異なっている。フロイトの無意識の世界、性衝動などの精神分析、アドラーの「個人心理学」の世界から決別し、人間の実存に基づく分析だ。物質世界の恩恵を受けながら心の渇きを感じて悩んでいる現代人に、フランクルの心理分析は大きな救いをもたらしている。

 ロゴセラピーは、人が自身の生の目的を発見することで心の悩みを解決するという心理療法だ。フランクルは、「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてくる」と分析している。強制収容所で両親、兄弟、最初の妻を失ったフランクルだが、その人生観は非常に前向きだ。「それでも人生にイエスと言う」という彼の生き方に接した多くの人々が感動を覚える。

ヴィクトール・フランクル博物館

ウィーンのヴィクトール・フランクル博物館

 神学の知識では近代法王の最高峰といわれてきたべネディクト16世は、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている。神やキリストが関与しない世界は空虚と暗黒で満ちている。残念ながら、青年たちは無意識のうちにニヒリズムに冒されている」と警告を発したことがある。

 ニヒリズムは「虚無主義」と日本語で訳される。既成の価値観を信頼できず、全てのことに価値を見いだせなく、理想も人生の目的もない精神世界だろう。「神は死んだ」と主張したドイツ哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)は「20世紀はニヒリズムが到来する」と予言したが、21世紀を迎えた今日、その虚無主義はいよいよ社会全体に広がってきた。

 フランクルは「人間は価値を志向する存在」と見ている。どの人間にも意味があり、価値が付与されているはずという確信だ。それを探し求めていくことで、生きる力や目的を失った多くの魂が再び生き返るわけだ。

 フランクルの功績と生き方を紹介した博物館が2015年3月26日、フランクルが戦後長く住んでいたウィーンの住居でオープンされたが、そこを訪れる人は絶えないという。

  筆者は2人のユダヤ人と会いたかった。両者とも既に亡くなった。一人はナチス・ハンターと呼ばれてきたサイモン・ヴィーゼンタールだ。もう一人はフランクルだった。幸い、ヴィーゼンタールとは生前に2度、会見できた。その個性と生き方に強い感動を受けた思い出がある。フランクルとはとうとう会見できずに彼は亡くなった。今なお無念の思いを持っている。

 ヴィーゼンタールはインタビューの中で、「自分より多くの名誉博士号を得た人物はフランクルしかいないよ」と述べた。冗談のように聞こえたが、ヴィーゼンタール氏は真剣だった。フランクルは生前、29の名誉博士号を得ている。ヴィーゼンタールの事務所の壁には多数の名誉博士号が飾ってあったが、フランクルのその数には及ばなかったわけだ。

 フランクルは晩年、失明したが、彼の病室を訪れた友人に「僕はこれまで数多くの美しい風景や場所を見てきたし、多くの人々と出会ってきた。その上、血も見た。それらの思い出は僕の心の中に焼き付いているよ」と述べ、失明で絶望しているのではないかと考えた友人を驚かしたという。その友人は後日、「彼が自身の心理療法を実践し、厳しい状況を克服している姿にはびっくりした」と述べている。

 日本でアドラーの心理学が人気を呼んでいると聞くが、フランクルが創設した心理分析は乾いた魂を癒す力を有していることは間違いない。現代人が最も今、必要としている内容ではなかろうか。どの人生にも「意味」がある。それを見いだす努力を忘れてはならない、と諭しているのだ。