ロックダウン慣れする国民 オーストリア


コロ禍で寂しいウィーン市内の公園風景(2021年2月14日、小川敏撮影)

 2021年春、ワクチン接種が開始されたこともあって、政府も国民もコロナ禍からの脱出の日が近い、と希望を感じ、同年の夏季休暇では海外で休日を楽しむ国民が増えた。しかし、秋からは20年と同様、新規感染者が急増し、11月に入ると過去24時間で1万5000人を超える新規感染者が出てきた。過去2年間での最多記録だ。

 病院は入院患者が増え、集中治療室(ICU)のベッドも空きがなくなり、ザルツブルク州の州クリニックではトリアージ・チームができ、入院患者の振り分けが現実味を帯びてきた。慌てた政府は11月8日からワクチン未接種者を対象としたロックダウン(都市封鎖)を実行したが、ワクチン接種率は上がらない一方、新規感染者の増加にブレーキがかからなかった。

 そこで11月22日から全国民を対象とした4回目の3週間のロックダウンに踏み切った経緯がある。ロックダウンといえば、国民の外出制限を意味し、国民経済活動が停滞することを意味し、新型コロナウイルス感染対策としては最強の手段と受け取られてきた。

 20年春の最初のロックダウンを思い出す。市内から人の姿は消え、車の数も減少、自宅にいても外から部屋に入ってくる騒音は限りなく少なかった。街の鳩やカラスも人間社会の異変に気が付き、不安げになり、飼い主と散歩する犬も落ち着きを失ったものだ。コロナ規制に反対する国民はロックダウンを目の敵のようにして、実施阻止のための抗議をしてきた。

 24時間外出制限下で、スーパー、薬局、公共の運輸機関、医療関係者は普通通りに働く。会社員はホームオフィスか、会社に行かなければならない場合は会社内でもFFP2マスクの着用が義務となる。それ以外の業種や職種に勤務してきた国民は自宅待機だ。ホテル、レストラン、喫茶店、コンサートホール、劇場は閉鎖された。

 一方、学校は基本的にはオープンだ。自宅でEラーニングするか、学校に行くかは各家庭が自主的に判断する。学校ではいつものように週2回から3回のPCR検査を受ける。4回目のロックダウン初日は子供たち(約110万人)の約75%が学校に行ったという。

 文部省はロックダウン前に「学校はオープン」と通知する一方、「誰も絶対に来なければならないことはない(Keiner soll kommen)」と親に連絡した。要するに、子供を学校に通わせるか否かは親任せというわけだ。親が仕事をし、家に誰もいない場合、子供は学校に来る。教師はメディアのインタビューに「ほとんど普通の日と変わらなかった」と語っていた。

 ロックダウンは国民経済に大きなダメージを与える。観光を国の看板としているオーストリアでは4回目のロックダウンで「もはや回復はできなくなった」と叫び声を上げるホテル経営者も出てきた。ただ、チロルなどスキー場のリフト業者はロックダウンでも営業が許可されているので、他の業界から「不公平ではないか」と不満の声も聞かれた。いずれにしても、ドイツ南部、チェコ、スロバキアなどオーストリア周辺地域でも新規感染者が増加しているから、近隣諸国からのゲストは期待できない。

 同国では過去2年間でロックダウンは4回目となる。国民の間には“ロックダウン慣れ”ともいえる現象が見られ、いい意味で平静心、少し批判的に表現すれば緊張感がなくなってきた。経済界も生き延びるためにいろいろな新しいビジネスや工夫を始めた。レストランなど飲食業界は出前に力を入れている。自宅まで運ぶ配達業者は大忙しだ。

 食品関係以外で閉店を余儀なくされた業者でもオンラインで注文を取り(クリック&コレクト)、店の前で手渡すことができる。「通常の商売のような売り上げは期待できないが、店を閉めて国からの援助だけで生きていけば、商魂がなくなる」と、ある店のオーナーが答えていた。

 ロックダウンも4回目となるとその状況が変わる。人の姿が消え、幽霊のような街風景はもはや見られない。コロナ規制下でも国民は生きていかなければならないのでさまざまな知恵を振り絞る。国民はロックダウンという言葉を聞いても恐れなくなった。これを“ウィズコロナ時代”の夜明けというのだろうか。

(ウィーン 小川 敏)