台中接近から日米台連携へ 台湾総統・立法院選が示すもの

国民党支配からの決別選んだ民意

平成国際大学教授 浅野 和生

浅野 和生

 あさの・かずお 平成国際大学法学部長。慶應義塾大学大学院法学研究科修了、博士(法学)。日本選挙学会理事、日本法政学会理事。著書に『親台論』(ごま書房新社)、『1895-1945 日本統治下の台湾』(展転社)など。

 1980年米大統領選挙でのレーガンの勝利を彷彿(ほうふつ)とさせる「蔡英文の地滑り的勝利」であった。去る1月16日の、台湾における総統(大統領)と立法院(国会)の同日選挙は、野党民進党の女性候補、蔡英文が56%を超える得票で勝利し、同党が議会の安定過半数の68議席(定数113)を確保した。

 これは、戦後長らく続いてきた台湾における国民党支配体制からの決別を意味する。民進党の蔡英文は、22の県市のうち18を掌握する圧勝だった。また、非国民党系勢力が議会の過半数を占めたのは初めてである。

 台湾南半部は従来から民進党の基盤であったが、台湾南部の23議席を民進党が独占した。国民党の基盤であった北部の、しかも国民党総統候補の朱立倫が市長を務める新北市でも、前回の国民党10議席対民進党2議席を、民進党9議席と「時代力量(時代の力)」1議席対国民党2議席へと逆転させた。

 敗北した朱立倫は、国民党主席の辞意を表明、同じく立法院選挙で落選した郝龍斌副主席も辞任を申し出た。

 実は、総統選挙における蔡英文の勝利は、昨年7月に国民党が洪秀柱を党公認候補としたときから大方が予想したことであり、10月に国民党が異例の臨時党大会で、洪秀柱を朱立倫に差し替えた時にも、情勢は変わらなかった。むしろ、一昨年11月の統一地方選挙で国民党が大敗したときから予期された事態かもしれない。

 朱立倫自身、ニューヨーク大学の会計学博士だけに成算の無い総統選挙への出馬を望まず、昨年1月に国民党主席に就任する前から一貫して、立候補はしないと明言し続けた。やむを得ざる情勢と、馬英九の後押しで立候補したものの、新北市長を辞任せず、4カ月休職して選挙に臨むという異例の対応だった。退路を用意した出馬だったのである。

 昨年12月に台北を訪れ、台湾を代表する選挙専門家に、国民党大敗の場合は朱立倫主席の辞任という事態になるが後任には誰が考えられるのかと尋ねると、その答えは「有力候補は馬英九」だった。その場にいた日本人は唖然(あぜん)としたが、国民党なら大いにありうる話だった。1996年から国民直接投票の総統選挙を導入して、民主化を完成させた台湾だが、あれから20年、国民党では旧態依然たる「人治」がまかり通っていたのである。

 正式名称は今も「中国国民党」である。民意は、それを否定したのではないか。

 今回の結果に基づく新しい議会は2月1日に発足するが、総統の交代は5月20日である。馬英九は、野党過半数の議会を相手に、誰を行政院長(首相)にして、どう政局運営をするのか、また、今後の国民党は本当に変わるのか、注目される。

 蔡英文は、陳水扁総統が完全にドメスティックであったのとは違って、ロンドン大学の法学博士であり、国際派である。昨年6月の訪米で、アメリカの関係者との意思疎通には成功したようだ。10月の訪日では、安倍首相の地元、山口県を訪れ、首相の実弟である岸信夫衆議院議員が密着して案内した。

 岸議員は、このたび衆議院外交委員長に就任したから、安倍政権下で日台関係をさらに緊密化させる舞台は整っている。また、「抗日戦勝記念館」や「慰安婦記念館」建設を支持していた馬英九の退場で、日本人が台湾と向かい合うときの懸念が減ることは間違いない。

 蔡英文の「現状維持」の対中政策は、これ以上は中国との距離を詰めないということである。中国と一定の距離を保ちつつ、台湾の主体性を維持するために、これからの台湾には日米との緊密な協調が必須になる。それが蔡英文政権の目指すところであろう。

(敬称略)