共産党の連合政府構想、世界の例から考える

yamada

 40年前の7月2日、ベトナム社会主義共和国が成立した。ベトナム戦争が、北ベトナム主導の共産側の完全勝利で終わってから、わずか1年2カ月後。戦争終結まで、共産側は「南ベトナムでは、民族解放戦線の政府『臨時革命政府』(PRG)を中心に、第三勢力など広範な勢力による『民族・民主革命』を進める。社会主義革命は急がない」と明言していたが、武力勝利したとなると、大急ぎで北による南併合、社会主義革命へと突進した。民族・民主…などは反古(ほご)にされた。

 PRGなどは消去され、その幹部たちの多くは、あっさり御用済みとなる。

 その一人、後にフランスに亡命したチュン・ニュー・タン元法相の「あるべトコンの回想録」は、そんな幹部約30人が開いたPRGの葬式=最後の晩餐(ばんさん)の情景を伝えている。ベトナム風春巻きとスープとご飯だけの悲しい葬式。皆押し黙って食べ、散って行った。

 今日、日本の共産党が参院選で野党共闘を引っ張り、「国民連合政府」構想も進めたいと主張しているのを聞くと、この「PRG最後の晩餐」を思い浮かべてしまう。将来の状況次第で、共産党の列車はいつでも「社会主義革命政権」ターミナル駅に直行する急行に変化しないのだろうか。

 考え過ぎかもしれない。米NGO[フリーダムハウス]の「世界の自由度」年次報告の最新版によると、世界195カ国中「民主的自由」を有しているのが86カ国。うち、モンゴルやポーランドなど、ソ連圏崩壊とともに共産党一党支配を脱し、いま自由となっているのが9カ国。別に、イタリアのように、かつて西側諸国で最大だった共産党が、民主党に変身した例もある。

 議会制民主主義の中で、現在または近年、共産党が連立政権与党を務めている国が、閣外協力も含め10近くある。しかし、これらの国もひどい政変は起きず、「自由な国」でいる。

 フランス共産党は、東西冷戦時代、イタリアと並ぶ西欧共産党の雄だったが、72年に仏社会党と左翼連合の「共同政府綱領」に調印した。80年代前半、社会党のミッテラン大統領時代となり、政権入りする。しかし、「ソ連一家の長女」と言われ、ソ連の核兵器保有やアフガニスタン侵攻など全部支持し、国内では産業合理化に猛反対した。

 それほど基本政策が違っていたから、社共はくっついたり、離れたりした。だが、その後90年代末にも、共産党は社会党政権に入閣している。

 結局、老獪(ろうかい)で、筋の入った政治哲学・戦略を持っていたミッテラン氏の方が、当時のマルシェ共産党書記長より一枚上手で、共産党はその手のひらの上で振り回された。

 その後は弱体化するばかりで、党員も7分の1に減ったという。

 選挙協力→「国民連合政府」構想は、日本共産党自身にも、大きな賭けとなり得る。

 だが、だから、天皇制反対、日米安保条約廃棄、自衛隊解消を狙う日本共産党が、当面それらを脇に置き、「国民連合政府」構想を進めても、全く心配ないと言い切れるだろうか。民進党と共産党の違いは、かつてのフランスの社共以上だ。民進党には、ミッテランの手のひらはない。容易に連合政府構想には乗れまい。

 連合政府構想を言うなら、共産党は先(ま)ず、上意下達の「民主集中制」を放棄すべきだ。議会制民主主義国の主な共産党で、いまだにこの原則を固持しているのは、日本とポルトガルぐらいという。内の自由なしに、外の自由もない。

 日本の民主政治が、「葬式晩餐会」を開く日は、絶対に来てほしくない。

(元嘉悦大学教授)