優しい母、失われた日常「あの時戻っていれば」


後悔とあふれる涙、亡くなった鈴木チヨセさんの長男が語る

優しい母、失われた日常「あの時戻っていれば」

静岡県熱海市の伊豆山地区で発生した土石流で亡くなった鈴木チヨセさん(6月23日撮影、鈴木英治さん提供・時事)

 静岡県熱海市の土石流発生から10日で1週間。犠牲になった鈴木チヨセさん(82)の長男、仁史さん(56)は「あの時、家に戻っていれば助けられたかもしれない」との思いにとらわれている。

 3日午前、ごう音が響き、妙な振動を感じた。「あんた、ちょっと変だよ」。足の悪いチヨセさんの言葉で自宅から出ると、門の前に20センチほど土砂が堆積していた。共に流れてきた木材を足場にし、1~2分かけて約20メートル離れた場所に移動。その後、再び大きな音が響き、警察官から避難するよう指示された。

 「家に母がいるんです」。何度も訴えたが制止された。立ち尽くす以外、何もできないまま約30分が経過。自身にも危険が迫り、避難を決めた。「一緒に逃げるべきだったと、今は思う」

 次男の英治さん(50)は出張先の神奈川県で土石流を知った。自宅の電話はつながらない。深刻なことになった-。

 一夜明けた4日、母が病院に搬送されたとの連絡が入る。容体は良くない。病院に駆け付けたが、チヨセさんは到着してすぐに息を引き取った。

 ユーモアがあり、面白いことを言って笑わせてくれた母。玄関が鉢植えで埋まるほどの花好きで、足が悪くなってからも手入れは欠かさなかった。帽子好きで、英治さんは母の日や誕生日に10個以上をプレゼントしてきたという。

 チヨセさんは先月23日、夏に向け、ばっさりと髪を切ったばかりだった。「髪の分け目が本当にそっくり」。英治さんがそう言うと、「鏡を見ているみたいだ」と笑ってくれた。「せっかく切ったばかりなのにね」。動かなくなった母の髪をなでたという。

 当たり前の日々はもう戻らない。「遅くなっても、いつも『お帰り』と迎えてくれたんです」。そう語る英治さんの目に涙があふれた。