熊本豪雨から1年、「生きていてほしかった」


犠牲者追悼式で、遺族代表の女性が両親への思いを言葉に

 

熊本豪雨から1年、「生きていてほしかった」

熊本豪雨の犠牲者追悼式で追悼の言葉を読み上げる遺族代表の西村直美さん=4日午前、熊本県人吉市(時事)

熊本豪雨から1年、「生きていてほしかった」

熊本豪雨の犠牲者追悼式で献花を終え一礼する遺族=4日午前、熊本県人吉市(時事)

 熊本県人吉市で4日開かれた熊本豪雨の犠牲者追悼式で遺族代表の言葉を述べた西村直美さん(52)=北九州市=は「両親にはいろいろなことをしてあげたかった。命さえあれば…。生きていてほしかった」と、1年前に亡くなった両親への思いを言葉にした。

 直美さんは、脳梗塞を患っていた父、西橋欽一さん=当時(85)=と、認知症の母、恵美子さん=当時(82)=を心配し、妹と交代しながら定期的に人吉市下林町の実家の様子を見に帰っていた。前週に妹が実家に帰り、あの日は直美さんが帰る約束をしており、前日夜、両親からは「直美、あんた帰ってこんのね」と電話があった。「父も母も待っていたんだと思う」と直美さんは涙ながらに話す。

 あの日の朝、テレビをつけた直美さんの目に、濁流が押し寄せた人吉市の映像が飛び込んできた。慌てて実家に何度も電話をかけたが、つながらなかった。水が引いた翌日の朝、連絡が取れた近所の家に住む女性から「おじちゃんとおばちゃん、おんなさった…」と両親が見つかったことを伝えられた。両親は、1階のリビングで寄り添うように亡くなっていた。

 被災して泥にまみれた実家は4月上旬に解体され、「いろいろな思い出がよみがえって悲しかった」と直美さん。今後、実家と同じ場所に家族がもう一度集える温かい家を建てたいと語る。「両親がいてくれる気がするから」という。

 北九州市で小学校の校長をしている直美さんは「命さえあれば未来は開ける。子供たちに二度と同じ悲しみをさせたくない。だからこそ自分の命は自分で守るということを伝えたい」と、この日、追悼式で遺族代表を引き受けた思いを語った。