オムロン太陽「個性を発揮できる社会進んで」


パラリンピックまで100日、72年から障害者雇用を進める

オムロン太陽「個性を発揮できる社会進んで」

メンテナンスする装置について説明するオムロン太陽の笹原広喜さん(左)=12日午後、大分県別府市(同社提供・時事)

 障害者の就労が難しかった時代に、重度身体障害者が働く工場を造り、社会参加を後押しした会社がある。オムロン(京都市)の特例子会社で、電気機器の製造を手掛ける「オムロン太陽」(大分県別府市)。立石郁雄社長(53)は東京パラリンピックを通し、「多様な人々が個性や能力を存分に発揮し、幸せを感じられる社会づくりを加速させる機運が広がれば」と期待する。

 オムロン太陽は、1964年東京大会実現に尽力し、「日本パラリンピックの父」と呼ばれる医師の故中村裕さんが設立した社会福祉法人「太陽の家」(同市)と、立石電機(現オムロン)が共同出資し72年に立ち上げた。

 当時中村さんは200社以上に工場建設への協力を依頼。難色を示される中、立石電機の故立石一真社長(当時)が理念に共感し、快諾した。障害があっても機械を操作できる生産システムをつくり、創業からわずか4カ月で黒字を達成した。

 障害者の社会参加を広げ、リハビリにつなげようとスポーツ活動もサポート。大会参加を出張扱いとし、旅費は会社が負担する。下肢障害を持つ社員の笹原広喜さん(47)は2008年、北京パラリンピックの車いすマラソンで銀メダルを獲得。勤務時間にトレーニングに打ち込んだといい、「会社の応援が励みになった。本当に良い経験をさせてもらった」と感謝する。

 オムロン太陽を皮切りに、「ソニー・太陽」「ホンダ太陽」など、民間企業と太陽の家の共同出資会社が次々に誕生。障害者の就労機会の拡大につながった。

 「一人ひとり個性は違うとの前提で(職場づくりを)工夫している。そうすれば能力を思い切り発揮できるようになる」と立石社長。創業半世紀を来年に控え、「これからの50年を見据えた社会と企業、人のあり方を発信し、共感・共鳴の輪を広げたい」と力を込めた。