生きた仏教が平和もたらす

インドで仏教復興

インドラ寺住職 ディクシャ・ブーミ(改宗広場)会長 佐々井 秀嶺氏に聞く

 インドは仏教発祥の地ながら、ヒンズー教の抑圧やイスラムのムガール帝国による300年間の支配によって仏教の火はいったん途絶えた。そのインドでの仏教再興に情熱を傾ける日本人僧侶がいる。天啓を受け1967年に、一文も持たずインドに入った佐々井秀嶺(しゅうれい)氏がそうだ。一つも寺がなかったナグプールに佐々井上人が関係する200以上もの寺がある、僧侶も随分と増やした。佐々井氏が会長を務める大改宗式典での仏教帰依者は、100万人に達する。一時帰国した佐々井氏に話を聞いた。
(聞き手=池永達夫、写真=小林久人)

義理と人情、ど根性
3点セットで民衆に仕える

生涯懸けて、インドで仏教復興に力を注いでいる。

佐々井秀嶺氏

 ささい・しゅうれい 1935年、岡山県新見市生まれ、本名佐々井実。51年、東京正生院に入門。60年、高尾山薬王院山本秀順貫主について得度。法名秀嶺を受ける。65年、タイのワット・パクナーム寺に留学。67年、インドへ渡り翌年、ナグプールへ。87年、インド国籍取得。2003年、中央政府少数者委員会の仏教代表就任。16年、アンベードカル国際協会会長就任、改宗委員会会長就任。

 インドでの仏教再興には先達がいる。独立インドの最初の法務大臣アンベードカルだ。彼の出自は、不可触民だ。

 父親が教育熱心で、アンベードカルは学校に入った。だが教師は、不可触民のアンベードカルに教えることを露骨に嫌がり、質問は一切、許されなかった。同級生と同じ机や椅子は与えられず、部屋の隅に袋を敷いて座らされるありさまだった。同級生もあたかもいないかのように無視し、誰も目を合わせようとしない。

 生き物の生命を奪うことを忌諱(きき)して菜食主義を美徳とするヒンズー教徒が、同じ人間の命を虫けら同然に扱った。こうしてすさまじい虐待と差別に耐えて勉学に励み、奨学金を得て米英に留学したのがアンベードカルだ。

 そのアンベードカルにネルー首相は、インドの憲法を作ってくれないかと持ち掛けた。

 閣僚は犬以下の人間に頼むのかと、いろいろ批判が出た。

 だがさすがにネルーだ。「あなた方のうちで一人でも、国土が広いばかりか民族も人種も言語もばらばらで対立しているインドを一つにまとめる憲法を作れるというなら、私は批判を受け入れる」と言った。だが誰一人返答できず、しぶしぶアンベードカルを認める。

 そこで11人の憲法起草委員会が結成され、その委員長にアンベードカルが就任する。

 この時、アンベードカルは不可触民の解放を訴えた。その圧力に押されて、ほかの委員が出席しない。仕事が忙しいとか、体調がおかしいとか、いろいろ言い訳をつくってこない。

 結局、アンベードカルは最初から最後まで一人で黙々と作り上げた。それで心身をすりつぶし、アンベードカルの寿命を縮めた経緯がある。

憲法の項目で一番力を入れたのは何か。

 やはり不可触民の解放と女性の地位の向上だ。それを憲法の条文に入れた。

 インドは徹底的な男尊女卑の社会だった。それを男女平等の憲法にした。インディラ・ガンジーが首相になれたのも、アンベードカルが憲法起草で女性の権利を認めたからだ。

 さらにアンベードカルは仏教復興に力を注ぎ、最初の改宗式典には60万人が参加している。彼らは仏典を読んだこともなく、仏教そのものを知らなかったにもかかわらずだ。アンベードカルへの信頼がそうさせたのだ。

 それまで不可触民は非人間として扱われ、殺されても一言の文句さえ言えない立場だった。そういう境遇から抜け出せるなら、ブッダに帰依しますというのが動機だ。

 彼らが勉強しだしたのは、それからだった。インドでの仏教復興の最初の芽吹きは、そういう形だった。

インドは世界でも名だたる多民族、多言語社会で、いわば混沌世界だ。そのほころびを修復できれば、宗教的な対立や民族の軋轢(あつれき)などさまざまな問題を抱えている世界の希望となるかもしれない。仏教はその希望になれるのか。

 なれる。仏教にはその力がある。

 ただ日本の仏教は宗派仏教だ。真言宗だとか日蓮宗、浄土宗だとかいろいろ分かれ、いがみ合っている。

 一応、全日本仏教会というのはある。だが、ただ会って、お互い顔を合わせて、握手して帰るだけ。真実なものは何もない。現実問題としての世界平和に、一つも役立っていない。日本の仏教は死んでいるのか、生きているのか分からない生茹(ゆ)で状態だ。

 生きた仏教が、世界に広がった場合は、初めて世界平和は訪れる。

生きた仏教とは。

 民衆と共に歩む仏教だ。今の多くの仏教は民衆と離れている。

 僧侶も2世3世ばかりで寺を継ぎ、本当の求道心から僧侶になることが少なくなっている。僧侶も継ぎ手不足で寺自体の存続に汲々(きゅうきゅう)としている状態だ。仏教本来の僧の使命は人を救うことなのに、寺の運営ばかり考えているように見える。

 その点、日本の僧侶と違って、インドの僧侶は人気商売だ。日本では僧侶の人柄にあまり関係なく、墓の供養料や檀家のお葬式などの固定収入が入るが、インドでは僧侶の命は民衆が握っている。この僧には生きていてほしいと思えば、冠婚葬祭に呼んでお礼をしたり、日ごろからお布施や食事を提供したりするが、「このお坊さんは、いてもいなくても関係ない」と思われれば、飢え死にしてしまう。インドの僧侶は民衆に仕えるための、義理と人情、ど根性の3点セットがないと生きていけない。

ナグプールでの大改宗記念日には何人ぐらい参加するのか。

 昨年は3万人集まった。昔は不可触民ばかりだったが、最近はいろいろな階層から集まりつつある。

総合すると改宗者数は。

 100万人だ。

 年1回開催している大改宗式典では、インド中から集まってナグプールの町が人でいっぱいになる。寝る所もなくなって、あぶれた人たちがずらりと道で寝ないといけないほどだ。

 地方版もあって、13日からはタミルナド州のチェンナイで4000人の改宗式がある。