長良川の風物詩・鵜飼
魚取れんでも川が楽しい
鵜匠 山下 純司氏に聞く
長良川の鵜飼(うかい)は、岐阜県の夏の夜を彩る幻想的な風物詩だ。松明(たいまつ)の火に引き寄せられたアユを、麻紐(あさひも)で結ばれた鵜が潜って捕まえる。1300年以上もの歴史を持つ鵜飼は、織田信長の時代に保護され、明治時代に入ると岩倉具視によって宮内庁傘下に組み入れられた。鵜が二十数羽、庭を自由に行き交う中、鵜匠(うしょう)・山下純司氏にインタビューした。
(聞き手=池永達夫)
羽切りせずとも逃げず
スキンシップで心触れ合う
鵜匠になられたのは。

やました・じゅんじ 1934年、岐阜市生まれ。江戸時代より十数代続く鵜匠の家から、祖父の時代に分家し、山下さんで3代目。愛知学院大学商学部卒。1971年、宮内庁式部職鵜匠。2002年より長良川鵜匠代表。
2歳の時、母親を亡くした。それで3歳の時から、鵜の餌を取るため、父親と船の中で泊まる川の上での水上生活だった。川は木曽三川を回った。揖斐川、木曽川、それにここの長良川だ。
鵜匠は俺で3代目だ。爺(じい)さんの代に免許が2枚あった。その1枚をもらった。
鵜の餌は。
川魚だ。池もなければ冷凍もなかったから、鵜には生きたままの魚を与えた。だから毎日、川で魚を取らないといけない。
ただ大雨が降ったりして水が濁ると、鵜は川の中の魚が見えなくなる。そのときは、魚屋に行って賄う。だから金が掛かる。3貫目(約11キログラム)ほど買うが、市場価格だから結構掛かる。
雨が降ろうが雪が降ろうが、苫葺(とまぶ)きの船の中で生活して、2時間ぐらい仕事をして陸(おか)に上がる。取れた魚を籠(かご)の中に収め、大量のときは、川沿いの農家と米や野菜と物々交換する。
毎日、それをやる。そういう仕事が面白うなるまで、時間がかかる。誰もができる仕事ではない。
小屋の鵜が庭に出てきたり池で泳ぐ。ここの鵜は羽を切っていない。野生の鵜を小屋の中の籠に入れ、3カ月たったら、外に出す。それでも鵜は逃げ出すことはない。
ただ毎日、籠から出すとき、人間と触れ合わないといけない。背中さすって、頭と喉をなでて、動物の心と向き合う。スキンシップによる心の触れ合い、それだけやっとりゃいい。
魚取る取らんは、問題にしない。それは人間と一緒で働くのもおれば、働かないのもいるものだ。
鵜の社会でも、さぼって暮らすのも。
なんぼもおる。これだけは仕方がない。
漁の時、鵜は麻の紐でつなぐ。夜のかがり火にアユが集まる。鵜匠の仕事は、鵜に結んだ紐がが絡まないようにすることだ。1組12羽というのが一番取れる。
鵜の嘴(くちばし)は、剃刀(かみそり)の刃が上下にあるようなものだ。アユも痛いから動いて逃げようとする。そのとき、アユの皮に傷が付く。鵜の嘴の跡が付いているアユは高級魚扱いだ。
人間でも鵜に噛(か)みつかれたら剃刀を当てたように、スパッと切れる。だからそのときには、手を引いたらダメだ。逆に鵜の喉に手を突っ込むように、奥に手を突き出さないといけない。
だから鵜の嘴を小刀で削る鵜匠もいる。ただ俺は、小刀を使ったことがない。それでも嘴の先だけは、刺さるぐらいに鋭くなるから、20日ぐらいおきに爪切りでちょんちょんと切る。それで向こうも食い付かないようになる。
ただ、気持ちが合えば、食い付く必要もない。魚をしっかり持って口の中に入れるぐらい、手を持っていく。
これはやってみないと分からないもので、体験を積み上げ、体で覚えるしかない。船頭も体で覚えることばかりだ。体験こそ、前に進むエネルギーになる。
会社勤めだと、定年を迎えた途端、仕事に対する関心が消えてしまいがちだが、鵜匠はそういうことがない。
30歳以上の鵜も何羽もいるが、基本的に野生の寿命の2倍以上生きる。
ただ年を取ると、体力もなくなるのは仕方がない。取れる魚量も減る。それでも、たまには魚を取らせる。力が足らずバタバタするだけで、一向に取れはしないのだが翌朝、その鵜の顔は一仕事を終えたような満足気な顔立ちになっている。
俺もなんぼ魚が取れんだっても、川に行くこと自体が楽しい。
鵜が渡りをする途中の茨城県などで生け捕りしていると聞く。
長良川鵜飼では、川鵜(かわう)よりも体が大きくて丈夫な海鵜(うみう)を使う。
海鵜は北海道に繁殖地があって、寒くなると九州まで下りていくのもいる。ルートもさまざまだが、途中の日立や北関東などの中継地が捕獲場所になる。
捕獲するときは、鵜が立ち寄る絶壁に葦(あし)で仕切って隠れ、鵜が羽を広げたときに、後ろから羽の脇にもちを付け、もがく鵜を引き込んで捕まえる。一羽、およそ12万円程度で取引される。
鵜にはリーダーが存在するのか。
サルの群れのようなリーダーというのはいない。ただ鵜には、年寄りを敬うという気持ちがある。
鵜はペットになるものなのか。
鵜は人に懐く。
鶏は散歩に連れて行こうとしても、犬のように付いてはこない。
そのときは、人間が鶏の後を付いて行けばいい。
そうしたら、いろんなことを鶏は教えてくれる。
鵜だって、さすがに付いてはこない。自分が付いて回らないといけない。
だが庭にいる鵜は、こちらに寄って来る。
今日はどんな人間が来ているのか関心があるからだ。それでも関心のない人間には知らんぷりを決め込む。
この仕事で最高の仕事は便所掃除だ。鵜の寝床になる鳥屋の籠に糞が付く。それを週1回、掃除する。
掃除するのでも、ゴム手袋は使わず素手でやる。そして腕などにポンと糞が付いたら、拭き取ることはせず舐(な)める。
すると多少でも味が違う。そういえば、今日の魚おかしかったかな、そういう方向へ思いはいく。汚いということは、一切ない。
鳥屋を洗った翌朝3時ごろの鵜の声は、実にいい。
明日ぐらいには洗わないといけないというときの鵜は、「ええ加減、洗わんかい」という顔をしたりもする。そういうことが分かるのも、鵜を飼う楽しみの一つだ。
俺の人生は鵜と一緒だ。旅行は一切やらない。





