千日で初心、万日で極める 父―大山倍達

アーティスト 大山 恵喜氏に聞く

 空手家としてその道を極め戦後、極真カラテを世界に広めた大山倍達氏が亡くなって25年が経(た)った。その娘であるアーティストの大山恵喜氏に、その生きざまと空手に対する思い入れを聞いた。
(聞き手=池永達夫、写真=敷田耕造)

スポーツでなく武士道
五輪入りには空手の娯楽化危惧

極真カラテの大山倍達氏が亡くなって4分の1世紀が過ぎた。

大山恵喜氏

 おおやま・えき 上智大学入学後、国立スペイングラナダ大学、米国サラ・ローレンスカレッジ、ニューヨークコロンビア大学・大学院留学。記者として米国、ドイツ、中近東、イスラエル、パレスチナ、ボリビアなどに在住。アーティスト。

 父は極真カラテをつくり上げたが、私は組織とは無関係だし、父の遺産相続も放棄した。

 組織を持つと、道徳観念と一致させるのが難しくなりがちだ。そうした矛盾を父親も感じていた。

 父は武道家として無名のまま、年を取ったらどこかのお寺で掃除でもしながら、静かな余生を送るような生き方に憧れを持っていたように思う。

 その父は偉大だったなとつくづく思う。

 華やかでスター性のあった力道山と比べると、父は努力の天才だと思う。

 継続は力なりというが「極真」のルーツも、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」だ。何でもせめて1000日やらないと、スタートラインにすら立てない。さらに万日継続すれば、どんな道でも悟りの境地に近い極に到達するという。

 父はこうした倫理的格言をたくさん持っていた。たった一人になれる朝のトイレ時間が、いろいろ考えられる場所だった。だから父は午前中、長い時間、お手洗いに入っていた。風呂場もそうで、風呂場とお手洗いは自分と向き合える場所だった。

 努力家の父は、勉強熱心でもあった。毎日、新聞も月刊誌も本も読んでいた。

 上手にならなかったのは英語だった。

 濁音が特にダメで、気楽にやれの意の「テイクイットイージー」も「デギリジー」となった。

 韓国から来た少年だったから、日本語の発音も悪かった。

 昔、極真会館の受付だった人の話によると、インターホン越しにドーナツを買ってきてくれというのが「とーなす」としか聞こえない。「どんななすびなの」と聞き返したり、特に「ねじりドーナツが全然、分からなかった」と言っていた。

来年の東京オリンピック種目に空手が入った。

大山倍達氏

昭和63年1月、世日クラブ定例会であいさつする大山倍達氏

 父は空手をオリンピック種目に入れる努力を続けていたが、途中で止(や)めてしまった。オリンピック委員会のサマランチ会長などとも何度も会っていたが、最終的に「スポーツは娯楽になってしまったが、空手は武士道だ」と悟ったからだ。空手をスポーツにしてしまったら、娯楽に堕してしまうことを危惧するようになった。

 そもそも防具付きの空手は、直接打撃を旨とする空手じゃなくなる。

お父さんから特に個人的に言われていたことは。

 「好きなことをしなさい、但(ただ)し悪いことは絶対してはいけない」と言って育てられた。

 そして、父は「女だから」とかは一切、口にしたことはなく、「男のパンツを洗うな」とも言っていました。生涯の伴侶に対しても、「自分で自分のパンツを洗うような人と結婚しなさい」とも言っていた。

 私は2度結婚しているが、一度も旦那のパンツを洗ったことがない。

 父自身もそれを実行していた。お風呂に入ると、下着や靴下とか、タオルとか、実に洗濯が上手だった。タオルもシャツも、真っ白にしてしまっていた。

 今の時代、洗濯機があるじゃないかというかもしれないが、手を使って洗うことはいいことだと思う。洗濯機があると、汚いものを貯めておきがちになる。そうじゃなくて、毎日、お風呂に入るのと同じで、その日の垢(あか)はその日に落とすことが大事だ。

 父は寝る前にも、家政婦さんが掃除しているのに、水回りとか自分で掃除して、いつも台所はピカピカだった。

 実は父は気が小さいほど神経質なところがあり、帰ると手を洗うだけでなく目も洗っていた。そのために、ちゃんと自分でホウ酸を買ってきていた。

 そして毎朝、やかんにいっぱいのお湯を持ってトイレに行く。今の時代はウオッシュレットがあって便利だが、快便快眠は健康の元だ。365日、何かをやり続けるというのは大変なことで、たまには昼まで寝たい日もあっただろうが、私が知っている限り、これらをちゃんとやらない日はなかった。

中学、高校と海外留学しているが。

 12歳でイギリスの中学校に入り、16歳からアメリカの高校に入った。

 現地では西洋が自由というのは嘘(うそ)で、差別も弾圧もあることを実感した。とりわけイギリスでは東洋人への差別はなかったが、同じ白人でも下層階級への差別は歴然としていた。

留学だけでなく海外でもジャーナリストとして働いていた。日本のジャーナリズムの問題点は。

 日本のテレビを見ると、ニュースはどのチャンネルを回しても、ほぼ同じニュースだ。順番までほぼ同じ、外国ではチャンネルによってがらりと変わるし、興味の対象が違っていたりする。これではテレビ会社がたくさんあっても、チャンネル一個と変わらない。天気予報じゃないのだから、金太郎飴の報道ではなく多様な視点を提供してほしい。

 それをおかしいと思わない日本人を私は心配する。基本的にはこの情報を信じると、誰にとって利益があるのかと考えるとだいぶ見方が変わってくる。

 ブレジンスキーの「ひ弱な花日本」といった類の耳に痛いものはあまり読まれなくて、日本人はこんなに立派だとか、ロマン・ロランなどが日本人を褒めたといったようなものが、もてはやされたりしまいがちだ。

 見て見ぬふりをしていたら、いつまでも真実が浮かび上がるはずがないし、事実を直視してこそ、どうすればいいかという道も分かってくる。