北海道・北東北の縄文遺跡群

縄文精神 体系的に具現化

考古学者 大島 直行氏に聞く

 近年、縄文時代に注目と関心が集まっている。とりわけ、北海道と青森、秋田、岩手の東北3県は、この地方に点在する縄文遺跡群をユネスコの世界文化遺産に再来年登録されるべく申請のための準備を進めている。果たして、縄文時代はどのような時代であり、どのような文化を形成していたのか。考古学のみならず、神話学や心理学、脳科学など幅広い分野から縄文時代を研究している考古学者の大島直行氏に話を聞いた。
(聞き手=湯朝 肇・札幌支局長)

「再生」に憧憬と畏敬
高かった自然との同化性

縄文時代は1万3000年余りの期間続いたとされます。縄文時代の遺跡は日本の全国各地に点在していますが、「北海道・北東北の縄文遺跡群」は何が評価されるのでしょうか。

大島直行氏

 おおしま・なおゆき 1950年、北海道標茶町生まれ。札幌医科大学客員教授。日本人類学会評議員。日本考古学協会理事。北海道考古学会会長などを歴任。医学博士。著書に『月と蛇と縄文人』(寿郎社)、『縄文人は死者をなぜ穴に埋めたのか』(国書刊行会)など多数。

 確かに、縄文遺跡は全国にある。例えば千葉県千葉市にある加曾利貝塚は日本で最大規模の貝塚として国指定の特別史跡となっている。また、新潟県笹山遺跡の火焔土器は国宝にもなっている。そうした数ある遺跡の中で「北海道・北東北の縄文遺跡群」の意義を挙げるとすれば、縄文時代の精神性を体系的に把握できるという点で評価される。私は縄文人の精神性についてシンボリズムとレトリックという視点から読み解いていくが、それらを見事に体系的に具現化しているのが「北海道・北東北の縄文遺跡群」なのである。

 例えば、青森県の三内丸山遺跡は縄文時代を代表する遺跡の一つだが、他の遺跡を圧倒するものがある。出土した土偶や鏃(やじり)などの数もさることながら、同遺跡の周りにはものすごい数の栗の木が生えていたことが花粉分析によって分かっている。これは単に栗の実を食材にするとか、栗の樹木を住居に使うということではなく、集落の周りを栗の木の“緑”と栗の花の“白”で囲むことによって、“再生”の効力(いわゆる効き目)を高めたと考えられる。ドイツの民族学者であるネリー・ナウマンは、縄文土器や土偶を見て縄文人は「再生」に対して強烈な憧憬(しょうけい)と畏敬の念を抱いていたと語っている。そうした再生のシンボルとして月やヘビ、さらには女性の子宮を崇(あが)めていた。翡翠(ひすい)(緑色)など装飾品を身に着けていたのは「再生」あるいは「誕生」の力を高める効果があったのであろう。

大島先生は、考古学を考える場合、単に遺物の形や年代からだけで見るのではなく、心理学や民俗学、神話、さらには脳科学など幅広い分野から見詰めなければ、縄文人の世界観を見ることはできないと説いていますね。

 日本の考古学は戦後、形式論や編年論、分布論、材質論などを使って縄文研究を進めてきた。発掘調査では遺跡、遺構、遺物をこれらの手法を使って整理してきた。整理技術だけを取り上げてみれば世界でもトップレベルにあると言っていい。しかし、残念なことにそこからは縄文人の世界観や心性が見えないのである。

 一方、ある学者は「考古学にはそのような哲学的な思考や心理学的な解釈は必要ない」と言うが、私は決してそうは思わない。縄文という世界を正しく知るためにはあらゆる側面からのアプローチが必要だ。ましてや、近年では考古学者の中に、「縄文時代の人々は家族の絆が強く、平和な暮らしをしていた」とまるで見てきたかのような言い方をする者もいる。だが、果たして縄文時代に家族の絆は強かったのか。竪穴住居や貝塚、石器などさまざまな出土品をもって縄文時代を見るとき、現代社会に生きる私たちの経験則(現代人の目線)で見てしまっているのではないか。極端な言い方をすれば、そこには科学的な根拠や蓋然(がいぜん)性があるわけではなく、現代社会がこうであるから、縄文時代もそうであるという“思い込み”が働く。

 そこで私は縄文を読み解くには、現代社会的な価値観(優劣感やAかBかといった二項対立や矛盾律を持った考え方)や経済的合理性で見るのではなく、「人間とは何か」「縄文人の思考原理は何か」という根源的な視点を持つべきであって、そのためには脳科学や心理学をも援用しながら研究すべきだというのが私の考え方だ。

 そうした視点からすれば、フランスの哲学者ルシアン・レヴィ=ブリュルの唱えた融即律(別個のものを区別せず同一化して結合してしまう心性の原理)が縄文人の思考を読み解くヒントになる。すなわち、縄文人は自然や他との関係性において同化性が極めて高かったという結論を導き出すことができる。

現在、北海道や北東北3県は「北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群」の2021年世界文化遺産の登録に向けて準備を進めています。一方、来年には北海道白老町に国立アイヌ博物館がオープンします。縄文文化とアイヌ文化、この関連性についても議論されるところですが、北海道でも考古学がさらに脚光を浴びてきます。

 縄文とアイヌ文化の関連性については、まず北海道には本州で言うところの弥生時代がない。北海道では縄文から続縄文、擦文、オホーツク文化、そしてアイヌ文化へと続いていく。

 文化史的な観点から言えば縄文とアイヌ文化は明らかに違いがある。私は前述した通り、縄文人の世界観は「再生」思考と捉えているが、アイヌ民族の宗教観はイオマンテ(熊の霊送り)に象徴されるように霊魂観あるいは来世思想が根底にある。従って。縄文の世界観はアイヌ文化に継承されず、むしろ日本文化とりわけ神社などの儀式に継承されていったと私は考えている。

 そういう意味で縄文の世界観を知ることは日本文化の源流を探ることでもあり、縄文遺跡を数多く持つ北海道は貴重な文化財を有していることになる。ただ、それらの遺跡が真に学問的な探求もなしに、現代社会の価値観で単なる観光資源として用いられるのであれば、陳腐な遺産として終わってしまうだろう。