日韓関係史 一喜一憂せず歴史的理解を

金玉均研究会会長 卞 東運氏に聞く

 今日の日韓関係は、戦後最悪と言われている。そうした中、金玉均研究会は両国の現代史、とりわけ李氏朝鮮時代、清からの独立を狙った開化派・金玉均に焦点を当てて研究する。当時の東アジア情勢は、現在のような混迷状況にあった。金玉均の時代を踏まえ現在をどう読み取るか、同研究会の卞(ビョン)東運(トンウン)会長に聞いた。(聞き手=湯朝 肇・札幌支局長)

友好関係構築の礎に
草の根交流、粛々と

金玉均研究会がスタートして、今年で6年目になりますが、そもそも金玉均研究会を設立しようとしたきっかけは何だったのでしょうか。

卞東運氏

 ビョン・トンウン 昭和5年(1930年)5月、北海道浦河町生まれ。23年、日本共産党に入党。日高管内を中心に労働運動に従事。以来、在日朝鮮・韓国人の地位向上のため活動を続ける。昭和49年、雑誌アリランを発行。現在、大韓民国北海道本部睦会会長。NPO法人民団福祉会理事長。金玉均研究会会長

 金玉均は韓国では開化派として知られた人物だ。1884年(明治17年)12月4日にクーデターを起こし、韓国の近代化を図ろうとした。しかし、清国の介入によりクーデターは失敗し、金玉均は日本に亡命する。歴史上、甲申事変と呼ばれる事件だ。金玉均は韓国の仁川港から船で出港し、同月10日に長崎港に到着した。以来、10年に及ぶ日本での亡命生活を送るが、その中で北海道での生活が約1年8カ月ある。当時、北海道長官であった永山武四郎は、金玉均をアジアの近代化に貢献する革命家として尊敬し、家屋や生活費を支援するなど、かなり優遇した。

 そうした金玉均の北海道の足取りに私自身が関心を持ち、数十年前から金玉均の書や資料を収集していった。そんな折、今から7年前の2012年10月に韓国忠清南道公州市の市長が札幌を訪れ、私に金玉均の北海道での歩みについて聞きたいという。ちなみに、金玉均の出身地は公州市なのだが、韓国には金玉均の資料はほとんどない。むしろ日本の方が多く、私が収集しただけでも25点あった。公州市では翌年の13年10月に「金玉均展」が開催され、その際に私の集めた金玉均の遺品を展示した。そして、それを契機に、金玉均研究会を札幌で立ち上げようということでスタートした経緯がある。会員は大学教授や企業経営者など30人ほどになっている。

金玉均が生きた東アジアは、現在のように激動の時代でしたね。

 金玉均は1872年(明治5年)、21歳の時に首席で科挙試験に合格する。当時の朝鮮半島は李氏朝鮮第26代王・高宗の妃(きさき)である閔氏の一族が政権を握っていた。清国に従属した朝鮮では、朝廷内に清国との関係を深めて開化を進める事大派と、清国との関係を断ち切って独立し近代化を図る独立派があり、金玉均は独立派の指導者だった。当時の東アジアは、西欧の列強諸国が東アジアの植民地化政策を推し進め、ロシアも南下政策を画策するなど、朝鮮半島の周辺でも外国船を巻き込んだ争いがあり、何が起きても不思議ではない状況だった。

 金玉均がクーデターを起こすきっかけは、84年の清仏戦争。そこで清国が敗退するのを見て金玉均は日本の協力を得てクーデターを起こし、新政権を樹立する。金玉均の計画に対し国王の高宗は承諾していたと言われているが結局、清国の介入で失敗し、日本への亡命を余儀なくされる。

当時の朝鮮国は、非常に不安定な状況にあったわけですね。

 不安定な状況という意味では今も変わらない。現在の文在寅政権を見れば一目瞭然で、発足当時は支持率も80%を超えていたのが、現在は50%を割り、不支持率が支持率を上回っている。経済状況も芳しくなく、唯一、北朝鮮との融和関係を構築することで一発逆転を狙っているという状況だ。しかも、仮に南北融和が実現したとしても、その後のビジョンが示されていない。融和するという感情的な側面だけが見られ、先行きの不透明感は拭えない。一方、日本と韓国の関係は悪化の一途、米国と韓国の間にも不信感が見られる。これに中国、ロシアといった大国に挟まれて、文在寅大統領が果たして何ができるのか。

日韓関係は戦後最悪と言われています。今のところ好転の兆しが見えません。とりわけ、元徴用工の日本企業に対する提訴に対して、韓国の最高裁判所ともいうべき大法院は、原告勝訴の判決を下しました。

 元徴用工の問題に関しては、1965年の日韓請求権協定で決着がついている。この協定では、「日本の植民地支配に伴う補償などの請求権について両政府間で一括して解決するため、被害を受けた韓国国民への個人補償義務を日本政府ではなく韓国政府が負う」ことが公開された外交文書などで明らかになっている。当時、日本政府は被害を受けた韓国国民への個人補償について補償する旨を伝えたが、当時の朴正煕大統領は韓国政府が少しでも多く補償金を得ようと金額をつり上げて一括して受け取った。従って、大法院の今回の結審は無理がある。大法院も文在寅大統領もそのことを知っているはずなのだが、世論の動向を見て判決を下し、文大統領もそれについてコメントをしていない。

 最近の韓国の情勢を見ると、世論の動向が国政に大きく影響を与えている。その世論の中に、反日にもっていこうとする勢力があるのではないかとさえ思えてくる。そうした国民の反日感情がいびつな形となって表れているようにみえる。

韓国海軍の駆逐艦による海上自衛隊機への火器管制レーダー照射事件などでも、日韓関係に軋轢が出ています。日韓の友好関係を構築する手立てはありますか。

 日韓関係は最悪と言われているが、その一方で、日本を訪れる韓国人旅行者は増加の一途を辿(たど)っている。民間団体の交流も進んでいる。従って、今後もそうした民間レベルでの交流を粛々と進めていくことが重要だと思う。少なくとも日本を訪れる韓国民が増えているということは、日本に対して心底険悪な感情を抱いているわけではないということ。環境次第で韓国民の感情は簡単にひっくり返る。一つ一つの事象で一喜一憂しても仕方がないこと。むしろ、韓国人や日本人の国民気質や文化が、それぞれの国の歴史を通して、どのように形成されていったのか理解し合う方が極めて有意義だし、それが友好関係を構築する手立てになるだろう。