日韓友好の道 若者の未来を拓く交流を
檀国大学校理事長 張 忠植氏に聞く
11月15日、東京・国立市で開かれた第15回くにたちふれあいコンサート「日韓親善友好の音楽の調べ」に韓国・檀国大学校の音楽教授らと参加、自身も伸びやかな声で「この道」など披露した張忠植(チャン・チュンシク)同校理事長に、日韓音楽交流の意義など伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
良い点を学び合う関係に
歴史が友好妨げるのは不幸
出演の経緯は。

チャン・チュンシク 1932年、中国・天津の生まれ。ソウル大学師範歴史学科中退、檀国大学歴史学科卒業。高麗大学大学院で中国・明の歴史を研究。米国留学中、檀国大学創設者の父の死に伴い帰国、同校職員となり、35歳で総長に就任。現在は理事長。大韓オリンピック委員会副委員長、韓国赤十字社総裁など務めた。
主催団体代表の遠藤喜美子・聖学院大学名誉教授が2002年に、韓国近代音楽の父とされる洪蘭坡氏の本『鳳仙花―評伝・洪蘭坡』(文芸社)を出したのがきっかけです。洪氏は日本の滝廉太郎のような音楽家で、戦前、日本の国立音楽大学などに学び、韓国に近代音楽を導入した人です。
洪氏作曲の「鳳仙花」や「ふるさとの春」は国民的な愛唱歌ですが、日本統治時代に軍歌などを作ったことから、08年に親日人名辞典にリストアップされ断罪されました。その後、遺族の提訴により見直され、09年からはリストから外されています。そんな歴史から、韓国では洪氏の本格的な評伝が書かれていなかった中、同じ国立音大卒の遠藤さんが、彼の生い立ちから愛国運動まで詳しく調べ、出版したのです。
同書には、自分の大切なバイオリンを売って独立運動に寄付するなど、洪氏がいかに国を愛していたかについてもよく書かれています。
私が遠藤さんに初めて会った2年前、著書を韓国語に翻訳する人を探していたので、本校でお手伝いすることにしました。韓国語訳は洪氏生誕120年の去年4月、本校出版部から発行され、韓国の中学・高校教師らに無料配布したので、彼の業績が広く知られるようになり、今では洪氏を親日派だと批判する人はほとんどいなくなりました。その意味で、遠藤さんの功績はとても大きいと言えます。
本校には洪蘭坡記念音楽ホールがあり、洪氏の遺品をはじめ貴重な資料を保存し、洪氏の胸像も立っています。
洪氏が軍部の要請を受け軍歌を作曲したのは。
日本への協力は洪氏の業績の10%くらいで、90%は韓国の音楽、文化のためです。当時は日本に協力しなければ音楽活動ができず、音楽仲間が暮らせなかったからで、それを一方的に批判するのは間違いです。結果的に韓国のためになったかどうかを大きな目で見るべきです。
本校で洪蘭坡記念ホールを建てようとしたときも、反日派の人たちに猛反対されました。それに対して、「あの時代、あなたたちは国のために何をしたのか」と聞くと、彼らは何も答えられませんでした。
国立音大を訪問されていかがでした。
世界のヨーロッパや米国の有名な音楽大学を見ましたが、国立音大は世界のどの大学にも負けない立派な施設と設備がありました。図書館には貴重な楽譜が15万部ほど所蔵されていて、それを学生に貸し出しているので、学びの場としてとても優れています。
一つ残念なのは、外国の学生が少ないことで、韓国からの留学生もまだいません。音楽を通して心の交流ができるよう、多くの留学生を受け入れてほしいですね。
入学試験で日本語能力が他の留学生と同じ条件が付いているのは、音楽の才能があっても、日本語のために入りにくいですから惜しいと思います。
日韓の音楽交流の歴史は古く、奈良の正倉院には新羅琴があり、江戸時代の朝鮮通信使では随行した楽員の奏でるメロディーが人気を集めました。演歌の作曲家・古賀政男は少年期を韓国で暮らし、古賀メロディーには韓国の影響が見られます。近年では、日本で活躍する韓国の歌手が増え、Kポップスが広く若者の支持を集めています。
若者たちには通じ合うものがあるのだと思います。日本と韓国の音楽を比較すると、日本の音楽は幅が広く、国を開いて世界の音楽を受け入れる姿勢では韓国の一歩先を行っているようです。軍事政権が長く続いた韓国は閉鎖的な面が少しありましたが、民主政権に移行してからは自由な自己表現ができるようになってきています。
各国の有名歌手が日本で活発に活動しているのは、日本が開放的だからです。韓国人が日本で自由に活動できるのに比べると、日本人は韓国で活躍しにくいでしょう。個人的には日本の音楽が好きでも、公の場で日本の歌や音楽を演奏することはまだ難しい。でも、韓国の若者たちには日本の自由な若者文化への憧れがあります。
今年1月に出た著書『麗しい絆』には張理事長の体験が反映されているようです。終戦直後、満州の中学(今の高校)から北朝鮮の実家に帰る主人公が、日本人家族の惨状を目撃し、助けるところから物語は始まります。軍人の夫が行方不明になった日本人女性との恋愛も描かれていますね。
日本女性とのラブストーリーは読者を物語に引き込むためです。姉のように感じる女性はいましたが、恋愛はフィクションです。
でも、本に書いた70%は私が見たことで、ソ連軍の侵攻を受けた日本人は悲惨で、とりわけ女性はかわいそうでした。
韓国人の日本に対する固い恨みを解かなければ、若者たちの未来が開けないと考え、私の体験を踏まえて書きました。日本人の良い点、情け深い点、戦争を好むような国民ではないことを紹介するには小説が一番いいと思います。一番近い国なのに、36年間の植民地支配の歴史ゆえに交流が深まらないのは不幸なことです。
檀国大学校は独立運動家だった父親が戦後、開学した大学で、当然、反日的でした。
私は反日教育には反対で、父とよく対立しました。日本語学科を設けるときも一部の理事に反対されました。学生たちには「過去の良い点は相続し、悪い点は相続しないのが歴史の発展だ」と言っています。韓国と日本が、良い点を学び合うような関係になることが私の願いです。