グリーフケア 傾聴で悲しみに寄り添う

聴行庵住職 東 和空師に聞く

 平和都市・広島で平和活動とともに傾聴活動を行っている天台宗系僧侶の東和空(ひがしわこう)師。人々の悲しみに寄り添い、共感することでその人本来の心の回復を促す傾聴は、宗教・宗派を超えた究極の修行だという。人々が孤立する時代に共鳴者が増えている同師の考えと日常生活への応用を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

適切に問い整理促す
日常に応用、トラブル減

どんな傾聴活動を?

東和空師

 ひがし・わこう 昭和39年山口県下関市生まれ。宇部高等専門学校卒業。サラリーマン、代議士秘書を経て、天台宗比叡山延暦寺で得度。行者山太光寺副住職を経て、現在、聴行庵住職。カンボジアでの教育NGO活動を基に、宗教・宗派を超えた平和活動を展開し、難病からの回復を契機に傾聴広島を主宰。ラジオ中国放送の番組「東和空の行けばわかるさ」で12年間パーソナリティーを務めた。

 西日本豪雨で広島の自坊周辺も大きな被害を受けました。復旧工事をする前に、亡くなった人たちや流されたお墓とご遺骨の供養をしなければなりません。被災者の悲しみ、苦しみに寄り添いながら儀式を進めるので、自然と話を聞くことになります。口にはできないことを聞きながら慰めるのが私の務めで、家族を亡くした人などその悲しみに寄り添うようになります。

グリーフケアですね。

 そもそも葬儀がグリーフケアですから。私はそれを皆さんにもしてもらいたくて、「傾聴」という言葉を使っているのです。傾聴なら宗教家でなくても、特に宗教心がなくてもできます。

宗教・宗派にはそれぞれの死生観があります。

 根本を突き詰めると、それはあまり関係ないですね。今日一日を一生懸命生きるという意味では……。その中で何か拠(よ)り所や自分なりの戒めを持ったり、古くからの教えを習うなどが大切になります。その行き着くところが傾聴だと私は思っています。判断やアドバイスを加えず、よく人の話を聞くことです。

 人は話しながら、自分の中で答えを考えています。それを分かった上で、最後まで聞きます。そうすると、話した人が安心感を持つようになり、さらに深い話をするようになります。思ってもいないことを話し、聞き出すのが傾聴という空間です。

思っていることが言葉になるということですか。

 潜在意識が顕在化するのです。傾聴で私がよく聞くのは、「死んだら何をしたいですか」です。それに答えようとすると、その人の宗教心が出てきます。例えば、浄土の教えを信じている人は「極楽浄土へ行って懐かしい人たちに会います」などと答えます。「そんなことは分からない。お先真っ暗や」という人には、「そうではないと思いますよ」と話を進めます。

「死ねばゴミになる」と言った検事総長がいました。

 実際の死に臨んでは極楽浄土のようなものを求めたかもしれません。日本人は一般的に、死ねば先祖の元に戻るという感覚があります。アジア全体に輪廻転生(りんねてんせい)の思想があり、それは自然界を見て感得したものでしょう。インドでは遺体をガンジス川など川に流しますが、海に注いだ水は蒸発し、雲になってヒマラヤに雪として降り、またガンジスに流れてくるという大自然の循環の中に、人の生死もあるというのが輪廻です。釈迦が言おうとしたのもそういうことです。人間のありのままの姿を捉えたのですが、それが後に、死んだら地獄へ落ちるなどの教えが加わってきます。それは人間の心の中を説いたもので、実際に地獄があるわけではありません。

小学6年の頃、死んだらどうなるか深刻に考えたことがあります。結論は出なかったのですが、気づいたのはそんな自分を見ているもう一人の自分がいることです。

 その気付きが大事です。今の自分に気づくよう教えるのが止観や禅ですから。あることに失敗しても、気づきがあれば、失敗ではありません。止観や禅が嫌うのは惰性で生きることで、気付きがあれば生きている実感につながります。

 華厳経(けごんきょう)では、全ての事物は相互に関係し合い、網目のような因縁で常に無量に重なり合っていると教えます。気付きは、そのような因縁に目覚めることかもしれません。

傾聴を始めたのは?

 一番のきっかけは大病をしたことです。精神的、肉体的ないろいろな事情が交錯しているのが今の自分です。そして、その観点で傾聴していると、多くの人が、これまでの成育環境からくるものの見方と現実の生活の結果、そして将来への展望や不安などをごちゃ混ぜにしているのが分かります。

 それを聞き続けていくと、話し手の方が自然に整理するようになります。傾聴のポイントは「問い、訊(き)く」で、適切に問うことで、さらに整理を促すことです。アドバイスではありません。何を聞くかはひらめきで、真摯に聞いていると、誰でもひらめきます。その時に大事なのは共感で、共感があると自ずからひらめきます。

 訊くことがその人に気付きを起こします。そのように思い悩んでいる話し手を、人はどのように見ているか、問いを発することで客観的な視点を提供することになります。外的な要件に振り回されるのではなく、自分と家族、知人、社会との関わりなど見直すことで、気づいていくわけです。そうして整理が付くと落ち着いてきます。

その他のポイントは?

 まず自分よがりの思考を落とします。そして相手と共感する関係をつくると、ひらめきに導かれるようになります。すぐに答えを出すのではなく、そうした関係づくりを目指すことです。大般若経などに仏の三十二相という仏の相とその意味が説かれています。これらが傾聴の本質を説いています。

夫婦ではどうすれば?

 話し合う時間をつくることです。先に声を掛けた方が傾聴する立場になります。職場でも、「どうですか」と声を掛けた方が傾聴する側になり、自然に傾聴が成り立つのが好ましいですね。

親子では?

 まず親子という立場を外すことです。職場でも同じで、人それぞれの立場は違いますが人間としては同じ。物の見方も経験や環境で異なりますが、擦り合せることはできます。その上で技量などの個性を認め合えば、納得できる関係になります。日常生活の中で傾聴ができるようになるとトラブルが減ります。