「無意識」という人間の異界

意識は表層、異界に委ねる

広島大学名誉教授 町田 宗鳳氏に聞く

 近著の『異界探訪』(山と渓谷社)について話を聞こうと、富士山を望む御殿場高原に建立された超宗派「ありがとう寺」に開祖の町田宗鳳・広島大名誉教授を訪ねた。同寺は、ホテルやレジャー施設を経営する(株)時之栖(ときのすみか)の庄司清和会長が建立し、禅堂を中心に護摩堂や神社などがあり、企業の社員教育などにも利用されている。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

統合して人生を豊かに
爆発的エネルギー持つ無意識

先生は内外のパワースポットを訪れていますが、異界は人間の中にもあるのでは。

町田宗鳳氏

 まちだ・そうほう 1950年京都生まれ。14歳で出家し、20年間、臨済宗大徳寺で修行。34歳で渡米し、ハーバード大学で修士号、ペンシルベニア大学で哲学博士号を取得。シンガポール国立大学、東京外国語大学で教え、広島大学大学院総合科学研究科教授を経て、現在は同大名誉教授。天台宗僧侶で、御殿場に開かれた「ありがとう寺」の開祖。比較宗教、比較思想、生命倫理が専門。「ありがとう禅」「ありがとう断食セミナー」「心のケア合宿」を主宰している。

 まさに無意識のことですね。ユングは、意識と無意識を統合しないと心の病気になると言いました。意識には潜在意識もあり、無意識には個人無意識と普遍無意識があります。現代人は頭でっかちになり、表層の自我意識だけで生きようとするから、全部、自分で判断して行動し、結果を出さなければならず、すごくつらい人生になっています。

 そうではなく、意識は氷山の一角なのだから、無意識に自分を委ねていく生き方があるのではないか。否定的な記憶に振り回されたらいけないのですが、意識に比べて何しろ馬力が違います。古代インドの唯識学の僧、世親が「阿頼耶識(あらやしき)は暴流のごとし」と言ったのは、今風に言えば「津波のごとし」でしょう。誰も抗(あらが)うことはできない、爆発的なエネルギーを持っているのが無意識です。それを使わないと小手先の人生になってしまう。

 現在は学歴社会で、高学歴の人が社会のリーダーになっていますが、無意識とコミュニケートできる人がリーダーシップを発揮しないと、社会はいい方向に進みません。松下幸之助は直感で商売を発展させ、パナソニックという大企業をつくりました。今のサラリーマン社長がよく判断を誤って不祥事を起こし、あるいはリーマンショックのような大波に呑(の)まれてしまうのは、彼らの多くが自我意識が突出した学歴エリートだからです。無意識とつながっていれば、腰を据えて判断することができます。

 ありがとう寺を建てた庄司会長も経営の勉強をしたことはありません。1975年に沼津市で食肉加工卸業を創業し、69年に米久(株)を設立して一部上場企業にし、94年に時之栖を設立して地ビールの醸造を始め、99年には御殿場高原の約10万坪の敷地に、ホテル、温泉施設、レストラン、サッカー場、美術館などをそろえた「三世代のテーマパーク」を整備し、年間約180万人が訪れる癒やしのスポットにしました。

 私が『異界探訪』という不思議な本を書いたのは、心霊現象に関心を持ってもらうためではなく、無意識の自然とコミュニケーションできるような人間性を養ってほしいと思うからです。そうしないと、近代文明はますます没落していきます。

 この本の真意は文明論で、今は文明の転換期ただ中で、次世代の文明に対する準備をしなければならない時代です。アメリカ文明の基礎になったのはピューリタンの勤勉と結び付いた信仰で、アメリカ人は迷いなく働いたのです。その前のヨーロッパ文明はカトリックの信仰で、世界には一つの神しかいないという思想から、自然現象の背後にある原則を見つけようとして科学が発展しました。思想革命から技術革命があり、新しい文明が生まれるのです。

 村山節(みさお)氏は、文明の800年周期説で次はアジア文明の時代だと唱えていますが、アジアの思想の軸がはっきりしていません。仏教に儒教、道教、日本の神道からヒンズー教、イスラム教もあります。ですから、これがアジア思想だという最大公約数的なものを見つけないといけないのですが、その仕事がまだできていない。そのことに私は大きな責任を感じています。

空海が土佐・室戸岬の修行で、口に明星(金星)が飛び込んでくる体験をしました。

 空海は異界と現界を往来しながら生きたからこそ密教の祖になれたと思います。戦後、日本はアメリカ的な合理主義に席巻されたので、密教のような日本の根幹にある思想は世界に発信しませんでした。自然や宇宙とつながっている感覚が思考の中心にあることを、そろそろ自信を持って語るべき時です。

日本仏教で世界に知られているのは禅宗で、神を信じられなくなった近代西洋人が、神なしでも生きていける思想として求めているようです。

 人間は弱いので、神・絶対者を必要としている面もあります。そこで私は、そうした存在を「光の意識」と呼んでいるわけです。無意識の底にあるものです。異界探訪はその入り口で、無意識の底から光が漏れているのに気付いてほしい。

 臨死体験では、暗いトンネルを抜けると光に出合うのが共通していますが、暗いトンネルは無意識のことで、その先に光があるのです。光はどの宗教にも共通していて、それは無意識の底にある光です。

現代人がそういう感性を開発するには、どうすれば。

 まずは自然と通じ合える自分の感覚的な機能に気づくことです。そしていろいろな方法でそれを鍛えるようにする。近代文明を否定する必要はないし、できないのですが、一種の遮断療法は必要です。その一つが私がやっている2泊3日の「ありがとう断食」です。

 古代ギリシャにはゾーエーとビオスという二つの生命観がありました。ビオスは生物学的な生命でゾーエーは永遠の命ですが、科学的エビデンス(根拠)がないので近代はそれを切り捨てました。

 ゾーエーが感覚的に分かっていた縄文人は、すぐに帰って来るからと遺体を浅く埋め、亡くなった赤ちゃんは玄関に埋め、母親の股に帰りやすくしていました。それが後に常世(とこよ)の思想になり、死者は海か山の向こうに行くが、すぐに帰って来るという来世観になったのです。そういう生命観になると、延命措置に大金を投じるような医療は不要になります。

 亡くなった人たちはいっぱい私たちにささやいているはずですが、私たちが聞く耳を持っていない。ゾーエーを認めるような生命観に転換する必要があります。