心にいつも懐剣忍ばせる
作家 石川真理子さんに聞く
働く女性が増えたことなどから、家庭における女性の役割が軽視される風潮が強まっている。その一方で、わが国の男女平等状況に対する国際的な評価は高くない。「女子の武士道」の著書を持ち、武家の女子の心得に詳しい作家の石川真理子さんに、家を守る女性の矜恃や役割の歪(ゆが)みなどについて聞いた。
(聞き手=森田清策)
家治める力を持つ「母」
男女平等思想で「覚悟」失う
武士道というと、男尊女卑だと思っている人が少なくありません。

いしかわ・まりこ 昭和41年東京都生まれ。祖父方が仙台藩士、祖母方が米沢藩士という武家の家系で、明治生まれの祖母から武家に伝わる薫陶を受ける。文化女子大学(現・文化学園大学)卒業後、大手出版社勤務。独立後、執筆活動を続ける。著書に「女子の武士道」「仕事に活かす武士道」など多数。
これまで女性向けに武士道についての本を書いてきましたが、その大前提として言いたいことは、武士道は決して男尊女卑ではないということです。武士の倫理観に、“悌(てい)の徳”がありますが、それは弱い人を思いやること。
侍には、弱い者を守るという大義があります。最も身近で、弱い存在の奥さんを守ることができずに、信頼されるでしょうか。一般的な武士道の理解では、そこが抜け落ちていると感じています。
今の社会を生きている私たちの目に、武家の女性の生き方がどんなに男尊女卑に映ろうとも、彼女たちは、自信を持ってその役割を担っていました。そこには気概も覚悟もあったし、被害者意識はまったくありません。堂々たるものでした。
戦後、男女平等思想の下、女性は多くの自由を得たかもしれませんが、芯の通った女性がどれだけいるのか、自戒を込めて問いたいと思いました。『女子の武士道』ではそこを表現したかったのです。
わが国の男女平等の現状について言えば、国際的な評価は高くありません。例えば、世界経済フォーラムは毎年、各国の男女格差を測る「ジェンダー・ギャップ指数」を発表していますが、最新のデータでは、日本は144カ国中114位で、過去最低でした。
世界の標準を基準にして順位を付けることにどれだけの意味があるのかということを、まず考える必要があると思います。日本には、固有の文化があるにもかかわらず、一部の先進国の価値観でもって順位を決めて、過去最低になったからと言って、どれほどのことがあるでしょうか。
要するに、働く女性が基準になっているからそういう数値になるわけです。かつて日本では、家の主婦が重んじられ、力もありました。家を治めることに権利と権力を持っている存在が「母」だったわけです。その部分が完全に見落とされています。それに江戸時代から戦前に至るまで、実は日本では共働きは珍しくなかったのです。ただ、今のようにどこかに雇われてお給料をもらうという働き方ではなかっただけのことです。
今は、子供を産んでも早く働きに出なくてはいけないという意識がありますね。私の世代もそうでした。男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年4月。男性と肩を並べてバリバリ働き、しかも一生独身で強く生きる女性が新しい女性像だと思われていました。
その一方で、不倫を題材にしたテレビドラマが放送され、「主婦は不倫をしている」と、言わんばかりでした。今思うと、マスコミによるイメージ操作だったような気がします。
そうやって“洗脳”された世代が親となり、刷り込まれた価値観で子供を教育していますから、若い人たちは主婦であることに誇りを持てないような状況が続いているのではないでしょうか。
メディアは「母性」という言葉を使わなくなる一方で、妻や夫を「パートナー」と呼ぶようになりました。
私は、「家内」と言われると嬉しいですけどね(笑)。夫のことを「主人」と言っても、どうしていけないのでしょうか。言葉尻を捉えていると本質を見失いかねません。
「母性」は、人知のレベルで決めていることでなく、宇宙の叡智(えいち)で決まっていることです。植物でも動物でも陰と陽があって、その中で、人間の場合は母性という言い方をしているわけです。それを蔑(ないがし)ろにすることは非常に愚かしいことだと私は思っています。
戦前の日本は家社会で、強固な家の結び付きが国家を強くしてきました。逆に、現在のように、男らしさ、女らしさを失い、お互いの役割を果たすことができなくなれば、家を弱め、社会を崩壊させることになりかねません。少子高齢化は成るべくして起きていると思っています。
戦後の教育にも問題があった。
家庭における母や妻の立場が歪んで捉えられるようになった要因を考えた場合、戦後の教育は、要因として半分ですね。なぜなら、私たちは植民地で奴隷として暮らしてきたわけではないからです。
私は、日教組が強かった時代に学校教育を受けた世代ですが、「なぜオリンピックの時しか国歌を歌わないのだろうか」「教師の言っていることは本当なんだろうか」という意識を持っていました。肉眼と心眼がありますが、さまざまなことを鵜呑みにしないで、心の目で見ようとする在り方は、祖母や両親の教えによるものです。
それに私は、「長い物に巻かれろ」が大嫌いでした。反骨精神が強いのは、先祖の血かもしれません。そして、祖母に武家の娘としての魂の片鱗(へんりん)を授けられましたから、日本女性の矜恃を持つことができたのかもしれません。つまり、武士の娘はどうして懐剣を持っていたか、ということです。
武家の女性は、自分の貞操が危機に曝(さらさ)れた時のために、常に懐中に短刀を忍ばせていました。
今はもちろん、懐剣を持って歩いているわけではありませんが、いつでも、心の中には懐剣を持っているつもりです。そうじゃないと先祖に申し訳ない。
よく明治の女性と今の女性の大きな違いは何かと言われますが、一言で言えば「覚悟」。自分の在り方、言葉に対して責任を持つということです。今はそこが抜け落ちているのではないでしょうか。
新年度が始まりました。人とのコミュニケーションが苦手な若者が増えています。職場での人間関係を円滑にする上で、武士道から学べることは?
“礼に始まり礼に終わる”です。礼というと、礼儀作法で堅苦しいと考えるかもしれませんが、礼の基本は「相手の立場に立つ」。常に思いやりを忘れないことをきちっと踏まえていれば、たいていの人間関係はうまくいくのではないでしょうか。一挙手一投足に礼の心を持って過ごすことによって、何より自分自身が成長します。