胡桃を味わうため固い殻を割る
くにたちふれあいコンサート
声楽家 遠藤喜美子さんに聞く
国立市の高齢者福祉を考える会(遠藤喜美子代表)が主催するくにたちふれあいコンサートの第14回が11月17日、「日韓親善友好の音楽の調べ」と題し、くにたち市民芸術小ホールで開催された。出演したのは声楽家の遠藤さんや韓国・檀国大学校音楽大学の声楽家、ピアニストら。実現までの経緯など遠藤さんに伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
日韓親善友好の音楽の調べ
戦前の日本語残る台湾の文化資産
コンサートを開くようになったのは?

えんどう・きみこ 昭和2年、福岡県生まれ。声楽家。音楽療法士。福岡県立女子専門学校家政科(現・福岡女子大学)卒業。国立音楽大学声楽科卒業。盛岡大学教授、同大付属厨川幼稚園長、聖学院大学児童学科長などを歴任。著書に『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』(文芸社)がある。
有志でつくった高齢者福祉を考える会の陳情で、国立市が75歳以上の独居老人に牛乳を配る福祉事業を再開したことにお礼がしたいと思い、高齢者や関係者を招き、私が一人で20曲歌ったのが始まりです。ぜひ続けてほしいという希望が寄せられ、続けることになりました。
今回、檀国大学校から音楽家が出演したのは?
私が2002年に出した『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』(文芸社)の縁です。洪蘭坡(ホン・ナンパ)は韓国で広く知られる「鳳仙花」「ふるさとの春」などを作曲し、韓国近代歌曲の父とされる作曲家で、日本の滝廉太郎や山田耕筰に当たる人です。
私は、国立音楽大学声楽科から東京藝術大学音楽科に国内留学していた時、民族音楽の小泉文夫教授の勧めでアジアの音楽を研究し、洪蘭坡を知りました。私と同じ国立音楽大学の卒業生だったので興味を覚え、彼の評伝に取り組んだのです。蘭坡記念音楽館がある檀国大学校も訪ねました。
今年は洪蘭坡の生誕120年に当たり、『洪蘭坡評伝』が檀国大学校日文科教授の宋貴英さんの訳で同大出版部から出版されました。4月10日には記念コンサートが開催され、私は唯一の日本人として招かれ、韓国語で「鳳仙花」を歌いました。
韓国語版の出版までかなりかかったのは?
それには韓国の複雑な事情があります。日本が朝鮮半島を植民地支配していた戦前、当局の依頼で軍歌なども作曲していた洪蘭坡は親日派だと批判されているため、複数の出版社からきた翻訳の話は立ち消えになりました。
私が訪韓した折には韓国のマスコミから何度かインタビューされたのですが、報道されることはありませんでした。
廬武鉉政権時代の2004年、日本の植民地支配に協力した韓国人を糾弾する特別法が制定され、1965年に文化勲章を授与されている洪蘭坡も、李明博大統領時代の2008年、民族問題研究所により親日人名辞典にリストアップされたのです。
その後、遺族が提訴したことで、09年の第3期親日派リストからは除外されています。しかし、洪蘭坡を親日派として毛嫌いする人たちは依然として多くいます。
檀国大学校が翻訳出版に踏み切ったのは?
同大学校日語日文学科教授の宋貴英さんに翻訳を依頼した張忠植理事長は、「親日は難題として残っていますが、檀国大学の宝である学生たちに、貴いクルミの味を味わわせるためには、クルミの固い殻を割らねばならず、その役割を学校がすべきだと思います」と語っています。
洪と日本の関わりは?
彼は1897年、京畿道華城市に生まれ、バイオリンを独習します。中央基督教青年会中学部の時にアルバイトでバイオリンを買い、朝鮮正楽伝習所声楽科・器楽科を卒業して1918年に来日し、東京音楽学校(今の東京藝大)予科に入ります。
19年、三・一運動のためバイオリンを質に入れたことで官憲に追われるようになり学校を中退。帰国後、20年に発表した短編小説集『処女魂』の前書きに載せたバイオリン独奏曲「哀愁」に、友人の金享俊が民族の苦難を詠(うた)う詩を付けたのが「鳳仙花」です。
その後、26年に東京高等音楽院(今の国立音大)に入学します。同学院はスウェーデンボルグ派の日本人牧師・渡邊敢(いさむ)がアメリカで集めた寄付金で設立した学校です。
コスモポリタン的な教育者の渡邊初代学長は洪蘭坡も受け入れたのでしょう。学生時代、洪蘭坡は東京交響楽団の第1バイオリン奏者を務め、卒業後は作曲家、バイオリニストとして活躍し、近代音楽の普及に努め、朝鮮音楽家協会の常務理事に就任しています。31年にはシカゴのシャーウッド音楽学校に入学し、33年に帰国すると、『朝鮮歌謡作曲集』を発行。蘭坡トリオを結成し、各地で演奏会を開きます。34年には梨花女子専門学校の講師や日本ビクター京城支店の音楽主任に就任しました。
京城放送局洋楽部の責任者になった37年に独立運動に関与したとして逮捕、投獄され、3カ月間の厳しい拷問が原因で41年、44歳で早世します。
軍歌を作曲したのは?
弾圧下に関係者を守るためではないかと思います。そうしないと音楽活動の機会や資材が断たれ、仲間が暮らせなくなるからです。
コンサートはどうでした。
檀国大学校音楽大学声楽科長でテノールの李英華さんは、同器楽科教授の崔綸牙さんのピアノ伴奏でグノーの「アヴェマリア」などを歌い、ソプラノの私は日本の歌曲の後、李さんと二重唱で洪蘭坡の「鳳仙花」を披露し、最後は洪蘭坡の「故郷の春」と日本の「ふるさと」を参加者全員で歌いました。
私の本を翻訳した宋教授は「洪蘭坡先生の歌が好きでよく歌うことと、彼が親日派として非難されていることとは関係ないと思い、関わりたくありませんでした。洪蘭坡の不名誉を正す努力を惜しまない遠藤先生に感謝し、敬意を表します」とあいさつされました。
駆け付けた永見理夫国立市長も「きょうは韓国と日本の友好を音楽が紡いでくれる素敵な日」とあいさつしました。
遠藤さんは89歳になってもお元気です。
音楽は私にとって生きている証し、歌うことは私の使命だと思っています。健康を保つには、夢や希望を失わず、努力し続けることです。