世界に類ない大村の布教史

歴史教育でふるさとづくり

長崎県大村市議会議員 中瀬昭隆氏に聞く

 昨年は遠藤周作の名作『沈黙』の刊行50周年。1988年に『沈黙』に出合ったアカデミー賞監督のマーティン・スコセッシ氏は、自身の信仰課題と同じテーマを見つけ、映画化を決めたという。キリシタン迫害の舞台の一つ長崎県大村市で歴史教育に尽力している中瀬昭隆さんに、当地のキリシタン史と史跡について伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

キリシタン受難の史跡多数
最盛期には信者6万人も

マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙―サイレンスー」が1月21日に公開され、話題を集めました。

中瀬昭隆氏

 なかせ・あきたか 昭和18年大村市生まれ。芝浦工業大学機械科に進み、学生時代にエレクトーンに惹かれて学ぶようになり、銀座にある東芝の音楽教室で教える。平成19年の市議選で初当選し、現在3期目。大村市体操協会会長、大村市日中交流研究会会長、日韓トンネル推進長崎県民会議副幹事長、長崎県日韓親善協会会員、長崎自然共生フォーラム幹事。

 遠藤周作の小説『沈黙』の舞台になった長崎をイエズス会に寄進したのが、最初のキリシタン大名・大村純忠です。小さな漁村だった長崎はポルトガルとの貿易港になって賑(にぎ)わい、純忠は天正遣欧少年使節をローマに派遣し、家臣と共に洗礼を受け、領民にもキリスト教を奨励したので、大村領内では最盛期、信者が6万人を超えたほどです。

 純忠の入信は当初、ポルトガル船がもたらす武器などが目当てでしたが、やがて信仰的にも目覚め、受洗後は妻以外の女性と関係を持たず、死に至るまで信仰を全うしました。純忠の嫡男・喜前(よしあき)も受洗しましたが、後に棄教し、加藤清正の勧めで日蓮宗に改宗してキリシタン弾圧を始めました。そのため、大村市にはキリシタン受難の史跡が多くあります。

どんな史跡ですか。

 「大村今富キリシタン墓碑」は半円柱蓋石型のキリシタン墓碑で、墓石の上部、本来なら伏碑にした場合、正面に当たる所に「台付千十字紋」を刻んだ典型的なキリシタン墓碑です。墓碑には「天正四年丙子十一月十一日 不染院水心日栄霊一瀬治部大輔」と刻まれています。一瀬越智相模栄正は大村純忠の家臣で、天正4年(1576)に没し、その子一瀬治部大輔が墓碑を建てました。その後、キリシタン禁教時代となったため、墓碑に仏教の戒名を記し改造したものと考えられます。

 「天正遣欧少年使節顕彰之像」が長崎空港に渡る橋のたもとにあります。ちなみに長崎空港は世界初の海上空港です。天正遣欧少年使節は天正10年(1582)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4人の少年を中心とした使節団で、天正18年(1590)に帰国。

 使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られるようになり、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって初めて日本語書物の活版印刷が行われました。

 「鈴田牢跡」は元和5年(1619)から同8年まで、外国人宣教師ら30人余を閉じ込めた狭い牢屋の跡です。スピノラ神父ら24人は元和8年7月7日、長崎へ護送され、翌10日、「日本26聖人殉教地」の西坂で殉教しました。

大村藩での大規模なキリシタン弾圧は?

 明暦3年(1657)大村藩郡地方を中心に608人の潜伏キリシタンが検挙された最初の大規模な事件で「郡(こおり)崩れ」と呼ばれます。長崎、大村、平戸、佐賀、島原の5カ所に投獄され、411人が死罪、99人が放免、20人が永牢に処され、78人が牢死しました。

 大村で処刑されることとなった131人は、刑場となった放虎原に引き立てられ、途中、妻子、縁者との最後の別れが許されました。その場所となった西小路には、今も「妻子別れの涙石」が残っています。

 刑場に着いたキリシタンたちは、4列に並べられ、次々に首を打たれていきました。切られた首は、処刑された後約20日間、見せしめのため大曲の獄門所でさらし首にされました。

『沈黙』のテーマの一つは「文化衝突」です。

 キリシタンには寺社を破壊するなど、乱暴な側面もありました。大村市では、大村藩総鎮守の昊天宮(こうてんぐう)も焼き打ちされています。

中瀬さんが歴史教育に力を入れているのは?

 大村市は昭和17年に海軍の飛行機を造る工場が出来、全国から約5万人が集まったのが発展のきっかけです。今の人口9万3000人のうち、約半数は全国からの移住者で、そのため、ふるさと意識が弱く、大村の歴史に対する関心も弱いのが実情です。

 そこで、今住んでいる所が自分のふるさとだという考えを広めたいと思い、その一環として歴史教育が重要だと考え、議会でも歴史教育についてたびたび質問しています。

長崎県は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録を目指しています。

 長崎におけるキリスト教の伝来と繁栄、激しい弾圧と250年もの潜伏、そして奇跡の復活という、世界に類を見ない布教の歴史を物語る資産というのがその趣旨ですが、12の構成要素に大村市の史跡は含まれていません。きちんとした歴史的証拠や記録が少ないとの理由からですが、禁教時代にそんな記録を残すわけがありません。

 11月3日に潜伏キリシタンの祭りが行われている長崎市外海の枯松神社も世界遺産の構成には入っていません。近くに大きな岩があり、そこに潜伏キリシタンが集まり、オラショを唱えていたと言われています。枯松神社は明治時代に、日本人のキリスト教指導者バスチャンの師であるサン・ジワンを祀(まつ)って建てられたものです。

 でも、私が県に訴えてきた「明治以降に造られた教会群よりも、禁教時代の潜伏キリシタンの歴史が大事ではないか」に沿うよう趣旨が変えられたので、少しは役立ったのかと思います。