アートの中心ニューヨークに新天地

成熟度進んだ陶芸

人間国宝・陶芸家 伊藤赤水さんに聞く

 独自の技法を次々と編み出すなど、常に挑戦を続けている人間国宝の陶芸家、五代・伊藤赤水さんの初の海外個展が、今月9日から米ニューヨークで開催されている。同展は大きな反響を呼び、4月1日までの予定だった開催期間は同月中旬まで延長された。個展の開催に合わせてニューヨークを訪れた伊藤赤水さんに、新たな挑戦となった海外個展や陶芸に対する思いなどを聞いた。(聞き手=岩城喜之)

中央に向け情報発信/他国の陶器は“クラフト”
オリジナリティーで評価されるのが肝要

数年前から海外での個展を考えていたと伺ったが、どういう思いからニューヨークで開催することに至ったのか。

伊藤赤水

 いとう・せきすい 本名・伊藤窯一(よういち)。昭和16年、佐渡・相川生まれ。52年、五代・伊藤赤水を襲名。56年、米国立スミソニアン博物館と英国立ビクトリア&アルバード美術館で開催された「日本現代陶芸展」に招待出品。60年、第8回日本陶芸展で、最優秀作品賞・秩父宮賜杯を受賞。平成15年6月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。17年、紫綬褒章受章。

 海外で個展をしようと思い始めたのは、6~7年くらい前からだった。なぜそう思ったかというと、新しいフィールドに行く時期が到来したと感じたことが大きい。

 日本は成熟してきたが、物の道理として、国が成熟するのはいいことの反面、伸びしろがなくなることにもなる。それで、どこに伸びしろ、あるいは新天地を求めるかとなると、やはり外国になってくる。

 僕が身を置いている、トラディショナルなジャンルである工芸、陶芸も非常に成熟度が進んできた。その観点から、海外に行く時期になったと思う。

 ニューヨークで個展を開くことになったのは、世界的なアート事情を考えた結果、ニューヨークがアートの中心地だという捉え方があったからだ。

 これまで国際交流基金などを通じて、20~30人が共同で作品をニューヨークに持ってくることは何度かあった。ただ、作品は1人1点ないし2点だったから、個展とは根本的に違う。やはり個展という形でやることは自分の中ではインパクトが大きいし、やってみたい一つのスタイルだった。

海外の人に作品を通じて何を感じてもらいたいか。

 自分がその時々に良しとして表現したものが、異文化であるニューヨークをはじめ、いろいろな場所で展開したとき、どう受け止められるかはやってみないと分からない。だから、こう受け取ってもらいたいという期待度はない。

ニューヨークでの個展開催は反響が大きかったが、具体的にどのような反応を見聞きしたか。

 米国のキュレーター(学芸員)の方に会ったり、間接的に伺う中で、相当興味を持って見てくれていると感じた。その意味では、(個展を)やった意義を非常に感じている。

作品の細かい部分や技術的な面に興味を持っていたのか。

 技術的な部分もあるが、陶器に対してどのような姿勢で臨んでいるのか、あるいは何を考えて作っているのかに興味を持って見てくれたように感じている。

ニューヨークで個展を開いて印象に残ったことは。

 ニューヨークに何日か滞在して、ここの空気を吸ったことは、僕にとってボディーブローを打たれたような感じだった。そのうちに効果が出てきそうだ。

海外での経験が、今後の作品に反映される可能性があるということか。

 効果という言葉ではないかもしれないが、変化が起きている。それが良い変化なのか悪い変化なのかは、分からない。海外を経験したことがすぐに出てくるとは思わないが、広い意味でのカルチャーショックを受けたので、それがボディーブローとなって、じわじわと出てくる気がする。ニューヨークにはまた来たいし、命ある限り何かやり続けたい。

日本の陶器と西洋の陶器の大きな違いはどのような点だと考えるか。

 陶芸というジャンルで考えると、僕の知る限りでは、日本以外の国でアート的な姿勢で作っている陶器はあまり見かけたことはない。乱暴な言い方をすると、クラフトのように捉えている。実用品という要素が強い。

 日本の陶器はアートの一角だと考えている。クラフトというスタイルで受け止められると、アートとはズレが起こってくる。

先生は伝統陶芸でありながら、非常に挑戦的なものを作られている。新しい考えをどのように昇華させてきたのか。

 伝統は変わらない根幹もあるが、焼き物が伝統を受け継ぐことによってのみ、作られるということはしない。伝統というものを否定するわけではないが、日々、新しいものが加わって、それがまた一つ一つの伝統を形成していくことになる。

 それは、社会を抜きには考えにくい。社会があって、そこから要求され、評価される。評価の物差しは時代とともに変わるわけで、それを受けて、時代のニーズとなる。ただ、時代のニーズに迎合すればいいということではない。

そのあたりのバランスはどのように図っているのか。

 自分のオリジナリティーを表現して、それが今の時代のニーズに合っていることが大切だ。ニーズに沿って作るとなると、少し違う。自分のオリジナリティーを作り、それが結果として社会のニーズに受け入れられることが望ましい形だ。

先生は新潟県の佐渡市在住だが、地方から中央に対するメッセージの重要性を常々訴えている。生きざまや作品を通して、どのようなメッセージを発信しようと考えているのか。

 日本は明治以降、中央集権の国だった。すべてのことが東京で決まる国と言えなくもない。物事の基準を決めるのは東京であり、田舎で一生懸命大きな声を出しても、東京の価値判断で決まる。

 これはアートの世界でも言えることだ。だから中央に向かって情報を発信し続けないといけない。そうしたことを若い時から一貫して表現してきた。もう少し飛躍すると、一般的にアートのメッカはニューヨークというコンセプトがあるので、そういうところに自分の作品を置いてみたいということにも繋(つな)がっている。

陶器を作るとき、どのような心境で対峙(たいじ)しているのか。

 自分のオリジナリティーをどう出すかということと、どういうコンセプトで作品を作るかが、とても大切なことだと考えている。

テクニック、技術の面ではどういうことに気を付けているのか。

 大きく分けると、すでに確立されたテクニックを習得するために一生懸命頑張るという性質のものと、新しい技術や技法、作り方を考え出していくことがある。確立されているテクニックは頑張って修練すれば、そこそこのところまで行く。その意味で、新しい技法が非常に大切になる。従来ある技術で頑張って作ることを否定しているわけでないが、僕はそういう方法を取らない。

どのように新しい技法を編み出していったのか。感性が重要になってくるのか。

 人と違うことや、今までになかった表現をいつも潜在的に思考している。そのうえで、何かを見たときや体験したことが突破口となり、自分の考えが具現化できてきたように感じる。