寄付文化、日本はこれから
難民支援
特定非営利活動法人・国連UNHCR協会ファンドレイジンググループ団体統括
中村 恵氏に聞く
紛争や迫害で避難を余儀なくされた人の数は第2次世界大戦後、6500万人を超えた。その半数は18歳未満の子供たちだ。避難先で初等教育を受けているのは、全体の約半分と教育問題も深刻だ。難民だけでなく、こうした子供たちにも保護と支援の手を差し伸べている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を経済的にバックアップする窓口になっている国連UNHCR協会ファンドレイジンググループ団体統括の中村恵氏にインタビューした。(聞き手=池永達夫)
係争地でのUNHCR
存在そのものが安全保障
国連UNHCR協会というのはどういった組織なのか?

なかむら めぐみ 1989年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に就職。ジュネーブ本部、東京事務所広報室勤務の後、ミャンマーにて援助現場での活動に従事。日本の民間からUNHCRへの公式支援窓口であるNPO法人国連UNHCR協会の設立(2000年10月)に関わり、現在に至るまで職員として勤務。
組織の立ち位置だが、あくまで民間の協会だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はジュネーブに本部があり、東京にUNHCR駐日事務所もある。難民に関する政治的・政策的な問題に関する政府やメディアとのコミュニケーションは駐日事務所の管轄となる。
私たちはあくまで民間を対象とする寄付・広報の窓口だ。UNHCRは各国や民間からの任意の拠出金で成り立っている組織なので、この活動に賛同してくださる方を増やしていくことがミッションになる。
例えば、財団法人日本ユニセフ協会は、ニューヨークに本部があるユニセフ(国連児童基金)とは別の日本法人だ。それと似ている。ユニセフ募金は戦後早くから広まり、民間に定着している。それに対して、民間からの寄付窓口として国連UNHCR協会が設立されたのは2000年10月だ。緒方貞子さんが第8代国連難民高等弁務官を退任されたのが2000年末だが、緒方さんの活躍を通してUNHCRという国連組織がようやく日本でも知られるようになってきていた。その機運を消さないようにするために日本にも協会が設立された。
UNHCRという組織名が分かりにくい……。
UNHCRという名前は、覚えにくく認知が難しい。名前そのものが認知度を上げていくうえでのネックとなっている。
国連難民高等弁務官事務所というフルネームが、そもそも長過ぎる。英語名United Nations High Commissioner for Refugeesから頭文字だけとるとUNHCRだが、ローマ字5文字は日本人の脳に定着するには不可能な文字数だ。日本語を話す人々にとってローマ字だとせいぜい3文字まで。4文字以上になった途端、頭に残らない。
もっと分かりやすい名称があれば……。
こればっかりは1950年12月の国連総会で決まったものなので、どうしようもない。
外国人には4文字、5文字は問題ない?
いや、あるみたいだ。英字紙ではUN Refugee Agencyという名称がよく使われている。やはりUNHCRという名称が、分かりにくいからだと思う。
一般の方々から寄付を頂くためにどのような工夫をしているのか?
例えば、商業施設とか街頭で、訓練を受けたスタッフがそこを通る方々に声を掛けて、毎月1000円以上の継続寄付に協力してくれませんかと訴えている。2008年頃から少しずつ活動を広げてきた。
直接お話しすると、たとえ組織の名前が認知されていなくても「何となく見たことあるわ」とか、少し年配だと緒方貞子さんのことを覚えていて、そこからたぐりよせて、実は1990年代に緒方さんが頑張ってこられて、今も難民問題は大変だということで、賛同してくださる方は多い。
実は、さまざまな国際協力団体などへ毎月引き落とし寄付をしている人は結構いる。その中にはもう少し寄付先団体の種類を増やしてもいいと思っている人もいて、UNHCRの継続支援者になってくださる場合もある。
札幌から福岡まで連絡所を置き、キャンペーンスタッフを育成して、多くの方々にお声掛けしている。UNHCRの最前線での活動はできないけれど募金ならと言って、主旨に賛同して、毎月寄付してくれる人が日々増えている。
税制上のメリットもある。
認定NPO法人になっているので、確定申告で領収書を寄付金控除に使っていただける。2000円を超える寄付額が税控除の対象になる。
ただ、日本における個人からの寄付は、欧米と比較してまだまだかもしれない。欧米ではキリスト教的な文化をベースに、寄付の文化が根付いている。寄付税制も早くから確立している。例えば自分の収入の一部を、自分で複数の団体を選んで寄付するという慣習が定着しているそうだ。
支援者への報告は?
協会では年に2回、支援者向けの報告書として、ニュースレターを発行している。前回はミャンマー特集だった。
ミャンマーにはロヒンギャ問題があり、バングラデシュやタイ、マレーシアなど周辺国と軋轢(あつれき)を生んでいる。
ロヒンギャと呼ばれるムスリム系住民が居住しているミャンマー北西部のラカイン州は、18世紀にビルマ王朝に征服されたアラカン王国があった地域だ。仏教圏とイスラム圏の狭間(はざま)にある地域なので、今のバングラデシュ辺りからムスリム系住民がアラカン王国に傭兵(ようへい)のような立場で招かれて暮らしていた歴史があると聞いている。
そのビルマは英国と3回戦争をして3回敗れた。1回目の戦争で負けたときに、アラカン王国は英国に割譲され、ビルマが独立して戻された。その後、ビルマの軍事政権は仏教を主軸にして政権を運営した経緯から、ラカイン州のムスリム系住民はさらに辺境へと押しやられたのではないだろうか。
結局、ミャンマーという国の中で、アラカンそのものがマージナライズ(周辺化)され、その中でムスリム系の人々がさらにマージナライズされることになった。ロヒンギャはそうした意味で2重にマージナライズされた人々といえるのかもしれない。
ロヒンギャの問題はこうした歴史的背景の中で発生しているものであり、ミャンマーの大多数の国民にとって、ロヒンギャの人々はわが国民ではないでしょうという意識がある。
以前、UNHCR職員としてラカイン州に赴任されていた?
92年にミャンマーからバングラデシュに約25万人が流出する事態が起き、私が赴任した97年までに、23万人のムスリム系住民が人道的配慮でミャンマー側に戻ってきていたので、帰還民支援の活動に従事した。
82年にミャンマーで国籍条項が改定された結果、彼等は普通の市民と同等の権利を認められず、戻ってはきても移動の自由はなく、就職とか進学とか、基本的権利が認められていなかった。
そこでは、UNHCRは存在することに意味があった。国際機関の人がいてさえくれれば危害を加えられないけれど、いなくなると何が起こるか分からないと言われたことがある。だからUNHCRがそこにいるということ自体が重要だった。
ロヒンギャにとって国際機関の存在そのものが、最大の安全保障になるというのはよく分かる。
UNHCRのキーワードはプロテクション(保護)だ。普通は国家が国民を保護する。でも普通に暮らせる状態にないロヒンギャにとって、難民保護の旗を掲げているUNHCRの存在そのものに意味があるとつくづく感じた。
現在、ミャンマー国内で多くのロヒンギャの人々が国内避難民になっている。
2012年に仏教徒系住民とムスリム系住民の衝突があって以来、10万人以上が国内で避難民となっている。
UNHCRは、少なくとも90年代初めまでは、国境を越えて難民となった人を受け入れ国側で援助していた。ベルリンの壁が崩れて、冷戦が終結し、クルド人問題とかバルカン紛争とかが浮上し、国境をめぐっての争いとか、国家の中にいながら国家そのもののガバナンスが機能していないといった不安定な状況にも注目が集まるようになった。その結果、国内にいながら難民と同様の状況にある避難民を支援する国連の活動が広がってきた。