熱い思いが無から有を立ち上げる

木立の中のおもてなし

山菜料理店「みたき園」女将 寺谷節子氏に聞く(上)

 鳥取県智頭(ちづ)町の山間部芦津(あしず)に「山のテーマパーク」と評判となっている古民家を連ねた山菜料理店「みたき園」がある。智頭町町長の寺谷誠一郎氏が青年時代の昭和46年、広大な敷地に茅葺(かやぶき)屋根の古民家を移築し開業したものだ。「みたき園」のおもてなしは音と空気。小鳥がさえずり、せせらぎと木立を抜ける風が心地いい。放し飼いされている鶏が隣で駆けていく中、女将の寺谷節子さんに聞いた。(聞き手=池永達夫)

何もないことの恵み/知恵や工夫でカバー

古民家を活用した日本の農村風の建屋が智頭の大自然の中で軒を連ね、囲炉裏(いろり)や黒光りする柱がタイムトリップさせてくれます。

寺谷節子

 こうした感覚は寺谷の天性だと思っています。時代の先取りといえば格好いいですが、40年前の当時は、そうした時期ではなかったのです。自分から、こうしようと思ったことは、人からどんなふうに思われても、やってきた人です。

 ここは全く何も無い所だし、町からも離れている。それがこんな形の古民家山菜料理店になったのです。無から有が立ち上がった気がします。これは智頭の町づくりにも当てはまるのかもしれません。熱い思いがあれば、あとは時間をかけて何となく形になっていくのです。

 寺谷は今の時代のことを想定して、やってきたわけではありません。ただ何もとらわれないというか、糸の切れた奴凧(やっこだこ)かもしれませんが、自由でないといけない人です。

 ただ自由さの中に、ぬくいところがあります。皆さまが助けてくださるというのは、そういうところかもしれません。

ぬくいというのは、心根があったかい?

 そうです。本当に根は、やさしいところがあります。

そこが町長の魅力かもしれません。人が集まってくるのは、単にばりばり仕事ができるビジネスマンというのではなくて、心が触れ合うようなことがなければ、こうはならなかったように思います。

 それはあると思います。寺谷はとっても弱いところもあるし、センシティブでやわらかい。少なくても派手な人ではありません。

 私は重箱の隅をほじくるくらいで、たいした決断もできません。でもセンスというか、ここのデザインは全部、寺谷誠一郎のものです。何よりコケの育成とかにかかる時間というのはお金で買えないものです。私はそうしたセンスはありません。それは寺谷の思いが生んだものです。

 平成9年だったか、智頭の山村にある板井原集落に一歩、足を踏み入れた時、寺谷は「ここはすごいとこだな」と言ったのです。私は内心「エー、こんなところが」という思いだったのですが、寺谷は「ここは土の匂いがする」と言いました。

 今、ようやくその感覚が分かりかけたというのが率直なところです。その時点では、私も分からなかったし、人からも理解していただけなかったわけですが、そういうことは一向に気にかけないのです。

 山のてっぺんから流れる滝は、道理にかなっていないインチキ滝です。寺谷が面白いと思ったから造ったわけですが、あれもお金があってできたものではありません。本当に家が万歳になって、寺谷は東京にお勤めしていたが長男ですから戻ってきました。「お祝い事でも、タイを買うお金にも困っていた時があったのよ」と義母が言っていました。ですが、そうした中でもあの人は困らないのです。

 滝落としを造るため、銀行という銀行を歩いたり、でも家が万歳ということだから、どこも貸してくれないのです。そう言われても頓着しないというか、自分の思いのほうが勝るのです。しかし、最後は智頭の合同銀行に行って、来る日も来る日もシャッターが開くとだーと入っていって、支店長室にどんと座り「お金貸してください」と言ってのけるのです。それでとうとう、何カ月かすると支店長もシャッポを脱いで「何に使うんですか」と聞いてきました。

 「滝落とし」

 寺谷はそう答えるのです。それはおちゃらけのようでしょう、本当に。普通だったら、家が破産状態で困ってる時に、まずそんなものを考えません。そこが寺谷の持ち味なのかもしれませんが、昭和46年のことです。その金を借りて、先払いして業者に頼んだのです。そしたら結局、その業者はある程度は造ったのですが、女の人と逃げたんです。そういう意味ではお金の味を知らないわけではないのです。私が結婚した時、ここが始まって2年ほどたっていました。それでも、お金に苦労していることなんて、こっから先にも言わないのです。私は、それを全然知らなくて、分かってあげていないというか自分としても変な女房だとは思っています。

 寺谷も自分のしたことを言わなかったりというところはあるかもしれません。破天荒ながら、でもぬくいところがある人です。

ぬくいところというのは、新婚当時から感じた世界ですか。

 いや、本当のことを言いますと、私はこの人と住む世界が違っていました。結婚はお見合いでした。当時は恋愛する力も勇気もないし、それで親がいいじゃないかというので、そのまま結婚しました。実家の父親が、寺谷と馬が合ったのです。うちの父も酒が好きで、変わっていましたから。

お父さんは寺谷さんのどこが気に入ったのですか?

 フィーリングが合ったのだと思います。

 私の父も、大地主のぼんぼんで育って、それでいて終戦後は、農地改革でしょう。だから、なにくそとがんばる。それでいて親分肌というか、そういう気持ちの世界で通じるものがあったのかもしれません。ただこの人、私じゃなくて、父に会いにきたのかと思うときもありました。

 結局、結婚が決まる時、寺谷の母が「やまがだけど、いいか」と言うのです。「やまが」って何? そのことが理解できなかったのですが、分からなくても、よう問いもしなかったのです。

「やまが」というのは?

 私も後で分かったのですが、山奥という意味です。

 その意味では、私は無知そのものでした。何にも知りません。それだからこそ、今日までこれたのかなとは思っています。ただ初め、本当に言葉が分からなかったのです。

 それでも、ここの従業員の人とか、家に出入りしてくれる人、そんな人を見て、この人たちは本当にすごい人たちだなと思ったのは事実です。学校は小学校しか出ていないのですが、知恵があり、工夫があったのです。ここはものがないので、知恵や工夫でカバーせざるを得ないのですが、生きるっていうのはこういうことなのかとつくづく思ったものです。本当に私の知らない世界でした。

 寺谷が「滝造ろう」「川流そう」と言うと、すべて「はい」でしょう。どんな状況でも、へこまないで、谷底からはい上がってくるたくましさを感じました。

 正直、その人たちの知っていることをまず習いたかったのです。それが魅力でした。私はこの地が合うのだと思います。

 家族が好きです。この集落の芦津も好きです。

選挙では歩いて支える?

 選挙で回る時、犬や猫とか花とか、そういうものにすごく興味がわきます。

 それで「おや、なんとかわいい猫」「この花、どうやって作るんですか」とか。そういう話をするだけで、どうしても入れてくださいとかではありません。だから楽しんで歩けます。それで寺谷からは「お前と歩くと、時間がかかってしょうがない」とこぼされます。でもせっかくだから、1人ずつお話させていただかなくちゃね。

誰もいない家にも、深々と頭を下げているという話をうかがいました。

 それはおうちから出て来れなくて、寝込んでいらっしゃる方があるかもしれない。それから、おうちに対してご挨拶(あいさつ)ということもある。それとお墓によく、「お願いします」と言っていました。だって霊の世界はありますから。だから、特別なことをしているわけでは決してないのです。

 当初、誰もが「無謀だ、やめておけ」と反対した。資金もあったわけでもない。あったのは構想への思いだけだった。それで40年以上、こつこつ改良を進めていき、森の中に6棟ほどの古民家を移築させ、園内に川を流し滝も造った。今では、観光客がこの「みたき園」に来るため智頭を訪れるという一大名所。山蕗(やまぶき)やイタドリの葉といった珍しい山菜のてんぷらや自然薯(じねんじょ)。山椒味噌(さんしょうみそ)を添えたヤマメなど絶品だ。