「心の病」はこうして作られた
「市民の人権擁護の会日本支部」世話役 小倉 謙氏に聞く
唯物論に基づく精神医学の「負」
不当な隔離拘束や大量投薬など、多くの問題を指摘される精神医療。その監視活動を行っている「市民の人権擁護の会日本支部」世話役の小倉謙さんは昨年、唯物論に基づく精神医療の危険性を告発する本「『心の病』はこうして作られた」(平成出版)を出版した。小倉さんに、現代精神医療の実態などについて聞いた。
(聞き手=森田清策編集委員)
医療とかけ離れた破壊行為
薬では心の問題解決できず
本を書いた狙いは。

おぐら・ゆずる 1968年生まれ。神奈川県川崎市出身。精神医療による人権侵害を調査し、公表することは、既得権益という厚い壁があり簡単なことではない。「市民の人権擁護の会」の活動には、少なからぬ障害があるだろうが、インタビューすると、そうした困難をはじき飛ばす精神的な強さが伝わってきた。その強靱(きょうじん)さの背景にあるのは、唯物思想によって失われた人間性を一刻も早く取り戻したいという信念である。
精神医療の調査に携わって12年になります。その間、精神医療がもたらした害悪を目の当たりにし、医学でもなければ科学でもない、ただ人を無力化させるためのカムフラージュにすぎない、と思うようになりました。
歴史をさかのぼると、精神医学は「治療」と称して薬漬けや電気ショックなどの破壊的な行為を続けてきました。だから、精神医学の真実を伝えたいというのが本を書いた動機です。
精神医学を全面否定していますが、一般社会のイメージと大きなギャップがありますね。「適正な精神医学」はないのでしょうか。
私も当初は「より良い精神医学」を目指すべきだと考えました。しかし、調査を進める中で、知れば知るほど、精神医療は人間を「負」に向かわせている、仮により良い精神医学になったところで、負に向かうスピードが落ちる程度で、本質的な解決にならないと思うようになりました。
薬の大量処方など、現在の精神医療に疑問を持っている医師はいます。そうした医師は精神医療の正しい在り方を目指していると思います。
間違っていないと思います。ただ、大学で使われている精神医学の教科書通りに実践すれば、症状が改善するどころか、必ず悪化します。精神疾患の原因は脳に起因するという理論が大前提になっているからです。
精神疾患は、本当に脳が原因なのでしょうか。人間関係が良くなっただけで治る人もいるのに、脳の問題と言えるのでしょうか。
精神疾患と言われているものの原因は脳ではなくて、本当の素因は日常の出来事の中にたくさんあります。自分にとってストレスになっているその出来事を処理しない限り本質的に治らないのに、精神科を受診すると、うつ病だったら興奮系の薬物を与え、逆に興奮している人には抑制系の薬物を与えるということの繰り返しです。
精神疾患と脳の問題に関連性はないと言えますか。
脳腫瘍が原因で、神経の伝達がうまくいかなくなって、障害が生じるなどという場合は関連があるでしょう。しかし、それは脳神経外科の範疇(はんちゅう)です。「精神障害は前頭葉の委縮」が言われますが、では委縮している人全員が精神障害なのかというと、そうではない。
うつ病と言われた人は、そもそもどうやってうつ病と診断されたのか。これがまず問題です。うつ病の診断がありますが、その客観性、再現性、一貫性が担保された科学的な診断なのかといったら、そうではない。診断は医師の主観で行われます。1人の患者に対して、4人の医師がいるとすると、4人とも違う診断を下すこともあります。
治らなくても症状を抑えてくれればいいという患者さんは多いはず。困っている人を助ける代替療法があれば、精神医療のニーズは減るでしょう。
それは大事なポイントです。たとえば、食の見直しを指導することで、うつ病や発達障害、統合失調症が改善している人がいます。では、なぜそういう人たちが表に出てこないかというと、圧倒的に強い医学界があって、反証論文が出てきて、押しつぶされるからです。
しかし、最近は代替療法の芽があちこちで出てきたと感じます。そういうものが国家規模で認められて、「薬の前に栄養だよ」「食事を改善しましょう」となって、それでもダメなら、精神科医に診てもらいましょうというのなら、理解できます。しかし、今はちょっと眠れなかったら精神科を受診しよう、ということを産官学が共同で推し進めています。これは乱暴過ぎます。
昨年12月、労働安全衛生法の改正で従業員50人以上いる企業に、社員のストレスチェックが義務づけられました。それでストレスの可能性が出ると、「専門の医師に行って検査してください」となります。自動的に精神科を受診させる仕組みになっているのです。
受診すれば、90%の確立で薬が処方される。それはいいことなのか。ストレスの原因があるわけで、それは人間関係であったり、その人の生き方にあったりするわけで。本当はそれを正してあげる取り組みが大切なのです。
社員にストレスチェックをやって精神科医に送るのではなく、企業が社員をケアする上で大切なことは。
会社員の精神疾患は、仕事の中で十分能力を発揮できずに、自尊心が傷ついて発症することが多い。このようなケースでは、社員が自分の存在価値を発揮できるように、会社が教育をする必要があるでしょう。
私も会社を経営していますが、社員の知識と経験は一番の財産です。それを磨くことに立脚して、組織を大きくしていかないとうまくいきません。社員を切り捨てることは自分の財産を切り捨てるのと同じ。社員を育てないのは、自分の資産を大きくしていないのと同じです。
会社として、社員にその役割を十分に担えるだけの能力や知識を与える機会を持たせることは絶対的に必要です。
米国流をまねて、仕事ができない人はどんどん切るというのではあまりにも冷た過ぎるし、会社にとっても従業員にとってもいいことはない。唯物論ではないが、人間をモノとして扱うようになれば当然切り捨てになる。人間を人間として扱えば、そうはならない。そのためにはコミュニケーションの取り方なども教える必要があります。
人材の流動化、最適雇用とかいうが、社員を人として扱っていないのではないか。根本的には人を人としてみるか、人をモノとしてみるか。唯物論を基にした精神医療は、人をモノとして見ているのだと思います。
精神病院への入院を減らすのが世界の流れですが、日本は依然として多いですね。医療の問題とともに、周囲の見えのようなものが影響しているのでは。
東アジアの2つの国、日本と韓国だけは入院がまだまだ促進されて、社会的隔離を容認しています。両国とも見えや社会的な評判を気にする国だからです。
イタリアは公立の精神病院を廃止しました。精神疾患を抱えた人を社会で受け入れるためには、家族への教育がすごく大事です。家族の中にどう接するのがいいのか。イタリアでは、そうした教育をコミュニティーを通じてやっています。カトリックの影響が強いので、宗教心でケアしようという気持ちが強いようです。
心に悩みを抱えたり、あるいは精神的な疾患を抱えている人が増えているように思います。そこに関与している精神医療が負の影響をもたらしているとすれば、それに代わった役割を果たすことが期待されるのは、第一に宗教でしょう。
精神医学が発達する前、心の問題を扱うのは主に宗教の役割でした。ところが、「宗教は科学ではない」として、宗教の価値をおとしめてきたのが精神科医です。精神医学は、唯物論に基づいており、魂の存在を否定しますから、宗教に反します。だから、精神医学は宗教に入り込んで、内部から崩壊させているのです。3人の精神科医が入り込んでいたオウム真理教はその代表的な例です。
唯物論者にとっては宗教ほど恐ろしいものはありません。「精神」「スピリチャル」「マインド」など、彼らが感じることができなくなっている存在を感じることができる人がいたとしたら、これほど怖いものはないのです。
だから、共産主義は宗教を徹底して抑圧するのです。精神医学に後押しされた脱会屋が特定の宗教団体の信者を拉致して、精神病院に監禁するということも行うのです。