伝統芸能の魅力
誇張美の歌舞伎 象徴美の能
日本伝統文化コーディネーター 藍川 裕さんに聞く
日本には長い歴史の中で育まれた世界に誇る文化がある。歌舞伎や能もその一つだ。日本伝統文化コーディネーターであり日本舞踊藍川流家元の藍川裕氏に、その魅力を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
発想の自由さに驚き
幽玄の世界に誘うお囃子
歌舞伎の面白さは。

あいかわ・ゆう 1942年、東京・木場生まれ。60年、NHK「ひるの民謡」、テレビ東京「芸能百花選」など各方面で出演。東京新聞舞踊コンクール指導者賞など多数受賞。2002年、日本伝統文化普及会「藍の会」設立。企業・大使館などで音楽・映像・踊りを交えた歴史トークによる講座を展開。日本舞踊藍川流家元。
その時代その時代の息吹を取り入れ、新しく生き続ける永遠の演劇ですから面白くないわけがありません。「古くさい、テンポがのろい、分からない」と、見もしないで勝手に思い込んでいる人が多いですよね。でもちょっと知るとこんなに面白いものそこらにありません。
宙乗りといってサーカスのように空を飛んだり、廻(まわ)り舞台で場面転換したり、屋台崩しといって一瞬のうちに下の部屋が沈み、ドーンと屋根だけになって役者がその上で立ち廻りしたり、ずぶ濡(ぬ)れになって水車で回転したり、お化け屋敷やビックリ箱のような仕掛けもあります。
犬・ガマ・馬・狐が出て一役演じたりするのは、役者が入っている縫いぐるみです。これがディズニーのミッキー以上の名演技です。
衣裳(いしょう)が一瞬のうちに替わる引き抜きの技法、荒事物の隈取り、荒事というのは強いスーパーマンのパフォーマンスでしょうかね。
隈取りというのは顔に赤や青で縁取りするもので超人的な力を表す化粧法なのです。血管の浮き出た怒りや強さを表す描写に舌を巻いてしまいます。赤のはっきりした隈取りは若い男の正義感を表します。悪人や亡霊の男、嫉妬の鬼と化した女性などは黒や藍の隈取りになります。
歌舞伎には、人間の感情、動作などを写楽の絵のように拡大して見せる誇張美に特色がありますが、人間が生き生きと演じられているのです。
これが何百年も続いているのです。なにしろ奇想天外な発想と自由さにも驚かされます。
今の歌舞伎が出来るまで、どういった歴史をたどったのですか。
徳川家康が江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)、京都四条河原に出雲(いずも)の阿国(おくに)と名乗る一座が「かぶき踊り」というものを始めました。
当時、奇抜な装いや髪形をする者たちを「かぶき者」と呼びました。阿国一座が行った芝居は、男装をして遊里(ゆうり)通いをする者を写したり踊るものでした。以前の芸能とはまったく違うもので一世を風靡(ふうび)し、阿国をまねた女芸人が次々と現われ女歌舞伎と言われるようになり、風紀を乱すとして寛永6年(1651年)に禁止されました。
次に生まれたのが美少年たちの「若衆歌舞伎」ですが、こちらも慶安4年(1655年)に禁止され、以後少年の前髪を剃(そ)る条件で再開されたのが「野郎歌舞伎」で、現在まで続く歌舞伎の型が形成されたわけです。この時、女形が生まれました。
よくテレビで歌舞伎の舞台中継を見ていたりすると客席から、「成田屋ー」とか、「音羽屋ー」と声が掛かりますね。
あれは三階(さんがい)さんとも大向うともいう専門のひいき団体です。あれは役者さんの屋号を呼んで芝居を盛り上げているのです。
芝居小屋の方はどうだったのですか。
江戸初期には多くの劇場がありましたが、明暦の大火(1657年)、別名振袖火事で江戸の市中の3分の2を消失。江戸城本丸も消失し遊郭吉原は浅草千束に移され新吉原となります。
江戸の町に散らばっていた四座(山村座・中村座・市村座・森田座)は、正徳4年(1714年)に役者生島新五郎と大奥女中絵島の事件により山村座はお取りつぶしになり、三座の取りつぶしこそ免れたものの、文化年間(1806年)になって浅草猿若町(現浅草千束)に移転を命じられ三座(中村座・市村座・河原崎座)となります。
そうなると芝居小屋が遠方になってしまったひいき筋のお客はどうしたのですか。
前日からそわそわ、早朝から船や駕籠(かご)を仕立て、または船を頼んで浅草へ近い親戚などを頼って宿泊したりして見物に行ったのです。ひいきの役者の紋を入れたかんざしを付け、おしゃれをして、幕間には、芝居茶屋で休み食事、新しい着物に着替える人もいました。
今と少しも変わらないファン心理ですね。
いつの時代でも、芝居に対するファンの情熱は変わらないものです。
能に関してはいかがですか。
能は世界の演劇の中でも、一番動きの少ない芸術ですから、華やかな大衆芸能の歌舞伎と比べると、とっつきにくさがあるのは事実です。
ただ能は人間が生まれてから死ぬまで、どうしても離れることの出来ない心の喜怒哀楽や情念、煩悩というものを感覚として捉え、芸術にまで昇華したもののように思います。
動きが少ないというのは、最小限にシンプルに絞り切った劇の象徴的型の中から、無限の意味と空間を感じさせる東洋的美学であり、仏教的な時空を超えたものを感じさせます。
情念を言葉やリズムで語り、幽玄の世界に誘い込むお囃子(はやし)の素晴らしさに感動してしまうのです。
能は仮面劇で、女の面(おもて)、男の面、神様などいろいろな面を付けて演じます。演者はその面に心を染めて舞うのです。
神に男女、狂に鬼と私たちの心の中にみんなあるものですが、その人間の「心の一番奥深く沈んで、眠っているもの」をいかに秘めて舞うかが能役者の力でもあります。
ともあれ観(み)る方にも豊かな感性と教養が必要ですが、まずは観てから何かを感じるものがあれば大成功ではないでしょうか。
室町時代に全盛を極めた能、江戸時代に大成した庶民の芸能歌舞伎や文楽など、今も残っているところがすごいことだと思いますので、ぜひ楽しんでほしいと思います。