マン島TTレース、自分磨いて結果出す

オートバイレーサー 山中 正之さんに聞く

 1907年からイギリス・マン島で開かれ、世界最古の一番危険なレースと言われる「マン島TTレース」。普段は生活道路として使われている公道を封鎖して設けた約60キロの周回コースをバイクで、最高時速300キロ以上、平均速度200キロ以上で駆け抜ける、世界中から一流のレーサーが集まる大会だ。過去には、挑戦した何人もの日本人選手が亡くなっている危険なレースに挑戦し続けている現役オートバイレーサー山中正之さん(52)に、挑戦の理由などを聞いた。
(聞き手=佐藤元国)

狭く荒れた公道レース
事故で10日間意識不明も

マン島TTレースに今年も参加する予定だった。

山中正之さん

 やまなか・まさゆき 1968年、神奈川県相模原市生まれ。16歳でバイクの免許を取得して、必死で貯めたバイト代でバイクを購入し峠を走ることが趣味に。21歳でロードレースに初出場。1993年にFIMインターナショナルライセンスを取得。これまで鈴鹿8時間耐久レースに23回出場。2017年から2019年のマン島TTレースに出場した。オートバイ専門店「MCR Garage」の店主。

 2017年から毎年、マン島TTレースに参加していて今年で4回目の挑戦となる予定だった。ただ、残念ながら今年のマン島TTレースは新型コロナウイルスの影響で中止となった。しかし、応援している方々から励ましの言葉をいただき、来年のTTレースのために頑張ろうと思えた。来年のマン島TTレースに向けて頑張っていく。

それほどマン島TTレースに出場しようと思った理由は。

 41歳の時に最後にしようと思っていたレースがきっかけだ。40代になっても現役を続けるレーサーは少なく、「もうそろそろいいんじゃない」という周りからの目が圧力に感じられるようになってきた。本当はもっとレースを続けたいが、自分の好きなことを続けているだけに、このままでいいのかと迷い、41歳の時に出場した鈴鹿の8時間耐久レースを最後にしようと決めた。

 16歳でバイクの免許を取って、初めてレースに出たのが21歳の時。25歳の時にチームに所属し、レースに出るための環境を全て用意してもらう代わりに、丁稚(でっち)奉公のように無給で働きながらレースに出場した。35歳の時にチームは抜けたが、それでもレースを続けたくて、今のバイク屋を開業して続けてきた。なので、本当にレース以外やってこなかった。普通の40代なら家庭があって、会社でも部長や課長など責任ある役割を任せられる頃。なので、普通にならなければと普通に憧れているような部分があったのだと思う。

 だが、それで最後と決めた鈴鹿のレースの予選を終え、決勝前の練習走行中に転倒し肋骨が折れて刺さった肺がつぶれて、10日間意識不明となり入院した。

それで引退されなかったのですね。

 昏睡(こんすい)状態になるような死んでもおかしくない、大けがをしても、それでもレースに出たい、走りたいと思って、そこで自分がレースに出続けるということが絶対に譲れないものなのだと分かった。自分に正直になれたんだと思う。

 そしてレーサーを続けると決めた時、40歳を過ぎても現役を続ける自分を応援してくれる人がいることに気が付いた。その人たちのために何ができるかと考えたとき、昔、テレビで見たマン島TTレースという凄(すご)いレースのことを思い出した。

 出たいと思っても遠い国のレースに出ることなど無理だろうと、若い時の自分でも諦めていたレースに出場できたら、同じように何かを諦めていた人たちにも「できるかも」と思ってもらえるかもしれない。そういう、人のためにレースができるということに意義や、意味を感じられて、レースを続けてもいいんだと自分に許しを与えることができた。

そこから、どのようにTTレースに参加したのか。

 当時、日本から選手としての参加者は一人もおらず、どうやってエントリーすればいいのかも分からなかった。そこで、現地に行ってレースを見学し、主催者に直談判した。

実際にTTレースのコースを走ってみてどう感じたか。

 TTレースへの出場者を選抜するマンクスグランプリというレースは、実際のTTレースと同じコースを走るが、そこを初めて走った時は、ともかく怖いという印象しかなかった。事前にレンタカーでコースを走ってみたが、実際にバイクで平均速度200キロ以上でコースを走るとともかく怖かった。

 公道のコースは狭く、道は荒れている。本来レース用のバイクは、足にあるシフトを押し下げてギアをアップしていき、街乗りのバイクはシフトをかき上げてギアがアップしていく。レース用のバイクに乗っていながらシフトを押し下げればいいのか、押し上げていけばいいのか、最初の1周目は頭の中で混乱してしまうくらいだった。

 1周目を終えた後に、一緒に来てくれたメカニックにシフトを間違えていたから、ギアを街乗りのようなシフトにしてくれないかと言ったら、そのメカニックが「何言っているんですか、山中さん」と言ってくれて、そこでハッと思い直せた。

 レース用のバイクでレースをしに来たのに、何で街乗り用のシフトにする必要があるんだと。それくらい緊張していたことをメカニックの子が気付いて言ってくれた。それからは、冷静に考えながら走ることができた。結果的には、新人クラスの2位になれて、マン島TTレースの本選出場へと繋げていくことができた。

そんなにサーキットレースとは違うものなのか。

 初めて出るレースで緊張もあったと思うが、本当に普通の5~6メートルくらいしかない道幅の公道を全開で走ることが、最初は本当に怖かった。先導走行をしてくれた先導者のスピードに付いていけなかった。

 サーキットはだだっ広い所なので目線や視界が確保されているが、公道レースではされていない。サーキットでは、目のスピード感というのは感じ難いが、公道レースのようにモノが近かったり、狭いコースだと、抜けていくスピードというのがとても速く感じられる。

そこから何回も出場して、感じ方は変わったか。

 速くなりたい、上手くなりたいというのが自分の場合は一番にあって、1位とか、2位とか、そういうのが後から付いてくるもの。マン島TTレースは一斉にスタートするわけではなく、1台ずつスタートしていって250以上あるコースを駆け抜けながら自分でタイムを削っていく作業となる。だから自分を磨いていくことがレースの結果に出る、このレースは自分に合っていると思う。