こんまりさんの本を英訳して
「ときめく」をspark joyに
翻訳家 平野キャシーさんに聞く
今、アメリカで最も有名な日本人の一人がこんまりこと片付けコンサルタントの近藤麻理恵さん。『人生がときめく片づけの魔法』の英訳本がミリオンセラーになり、テレビ出演で一躍人気者に。その英訳を担当し、キーワードの「ときめく」をspark joyと訳した翻訳家の平野キャシーさんに、同書がアメリカ人を引き付けた理由を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
マイナスな気持ちをプラスに
生き方まで見直す「片付け」
「ときめく」をspark joyと訳したのは。

Cathy Hirano カナダ生まれ。20歳の時に来日し、京都で日本語を学ぶ。その後、国際基督教大学で文化人類学を学び、卒業後、日本の建設会社で翻訳の仕事に携わり、結婚、出産を機に香川県高松市に移住。現在は、フリーランス翻訳者として『人生がときめく片づけの魔法』をはじめ多くの作品を手がけている。主な英訳は、上橋菜穂子著『精霊の守り人』、荻原規子著『空色勾玉』、湯本香樹実著『夏の庭』など。
こんまりさんは「ときめく」を非常に大事なキーワードにしています。物を整理し、片付けるときには「何を捨てるか」ではなく「何を手元に置くか」を考えるのです。その判断の基準が「ときめく」かどうかで、物を見て、心に聞いてみるのです。
「ときめく」を和英辞書で調べると、throb、flutter、palpitateで、例文としてはmy heart fluttered in anticipation(心臓が期待でパクパクする)など、身体的な表現が多くこんまりさんの使い方と違う意味になるように感じました。そこで日本人の友達に、どんなときにときめくのか聞いたりして、可能性のある英語を考えました。
その中で一番近いと思ったのがspark joyで、喜びの火がぽうっと灯(とも)されるような感じです。2014年にアメリカで出た本が“The Life―Changing Magic of Tidying Up”ですが、「ときめく」の英語表現spark joyが強い印象を残したためか、19年に出た2冊目の本の英語タイトルは“SPARK JOY”になったようです。続いてマンガ本も出て、こんまりさんは次作の仕事上の片付けの本をロサンゼルスで執筆しているそうです。
アメリカではこんまりさんがテレビ出演で話題になり、「Kondo」という言葉が「片付ける」という意味で使われ、社会現象のようになっています。
2014年にアメリカで出した本がベストセラーになり、15年のタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれました。今年1月に始まったネットフリックスの番組「KonMari 人生がときめく片づけの魔法」が大ヒットして、最初のブームの時には彼女のことを知らなかった人たちも本を買ったり、番組を見たりして片付け法を試しています。
アメリカの家は大きいので片付けには困らないのでは。
物質主義が蔓延(まんえん)している社会では、「かたづけ」が普遍的な課題だと思います。今の経済は消費を奨励し、消費しないと経済が回らなくなります。その結果、家は物であふれ、自分が何を持っているのかさえ分からないような状態になって、良かれと思って買った物が、逆にその人にとって負担になっています。それは日本だけでなく豊かになった多くの国に共通しています。何とかしたいのだが、片付けようとすると憂鬱(ゆううつ)になってしまう。こんまりさんのやり方は普遍的な問題に対して効果的な取り組み方を提案しているため、ヒットしたのではないかと思います。
こんまりさんの良さは。
とてもポジティブで、マイナスな気持ちをプラスに変えてくれることが一つだと思います。テレビに出ても明るくてかわいい人柄で、多くのアメリカ人に好感を与えています。
こんまりさんは単なる片付けに終わらず、生き方の転換まで促しています。
その通りで、彼女が言っているのは、考え方を根本から変えることです。英語ではchange your mindsetです。そうすると、もう一度同じことを繰り返さないようになります。片付けた部屋が、また散らかったりしない。行動の仕方や生き方まで変わるので、例えば、「ときめく」ものを買うように、買い物の基準が変わります。人間の本来の心に合っている、いい意味で精神的な考え方だと思います。
アメリカでは禅に基づくマインドフルネスもブームですが、似ていますね。
同じような要素があると思います。宗教ではないのですが、片付けの背景にそうしたお釈迦(しゃか)様に通じる精神があり、だからこそ、片付けを通してもその心境に近づくことができるのでしょう。彼女の言うように自分と物との関係を見直していくと、やがて自分の生き方まで見直すようになります。
物を捨てるとき「お別れの儀式」をするなど、物にも心があるように扱います。アニミズム的な発想ですが、欧米人にはどう思われているのですか。
私は一つの国を代表して言える立場ではないのですが、カナダやアメリカでは物に心が宿るという考えを持っていない人が多いように思います。そのため、そのまま訳すると物に話し掛けたりするこんまりさんが、ただの「変人」に見えるのではとちょっと不安でした。それを防ぐために、西欧ではなじみがない日本的な視点が出ているところに「日本ではこのように考えます」などと、言葉を少し足しました。そうすれば、日本ではそんな見方があるのだと面白がってくれるでしょうから。私は国や民族により文化や考え方が異なること自体はとても面白くて、それを知ることによって視野が広がると感じます。また、違いがあっても人間の根っこは同じだとも思うので、翻訳本を通して読者がそれを少しでも経験できたらと願っています。
具体的には「小物類」の英訳に苦労したそうですね。
適切な英語が見つからないのですごく探しました。彼女の「小物」には、文房具や電化製品、台所・洗濯・掃除用品などが含まれますが、どの英語を当てはめてみても幅が狭すぎて、彼女の言う分類には当てはまらないのです。結局あきらめて、そのままKOMONO(miscellaneous items)にしました。
もう一つ大きな違いは、日本と欧米の家のつくりです。こんまりさんはトイレとお風呂を分けていますが、アメリカでは多くの場合、同じ部屋にあります。彼女の片付け法でも区別しているので、アメリカの編集者用に説明のコメントを付けました。