家庭の価値、「絆」を輝かせる年にしたい


 「家庭生活は、文明の所産のうち最も高い、最も美しいものである」。

 これは1世紀前の1909年、米国のセオドア・ルーズベルト大統領の下で開かれた要保護児童に関するホワイトハウス会議の声明の一節だ。世界人権宣言(48年)は家庭について次のようにうたっている。

 「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」(16条3項)。

 夫婦別姓は大いに疑問

 このように、児童を守る声明も人権を守る宣言も「家庭の価値」を強調する。それは家庭があってこそ、子供の健全な育ちがあり、個人も尊重されると考えられているからだ。

 ところが、わが国で今、個人の尊重の名の下に家庭の価値を揺るがす事態が生じている。一つは夫婦別姓をめぐる動きだ。

 昨年12月、事実婚の「夫婦」が起こした夫婦別姓訴訟で最高裁は、同姓は「家族の一員であることを実感し、対外的に示す意義があり、子供もその利益を受ける」として、民法の夫婦同姓の規定を合憲とした。

 一方で国会論議を促したため民主党の岡田克也代表は今国会に選択的夫婦別姓法案を提出するとし、共産党など一部野党やメディアが同調している。

 だが、選択的夫婦別姓は大いに疑問だ。別姓は両親と子供の絆や家族としてのアイデンティティーを損ないかねない。選択的つまり同姓でも別姓でもどちらを選んでもよいとする制度は、家族の概念を曖昧にさせ、社会の秩序を揺るがす。世論調査では最高裁の合憲判決に賛成する意見が多数派だ。

 それでも別姓導入に固執するのは、家族を敵視し、個人ばかりを強調するイデオロギー的な「家族解体主義」が背景にあるとしか思えない。

 もう一つの動きは、東京都渋谷区が同性愛のカップルを「結婚に相当する関係」と認める条例を定めたことだ。昨年11月に初の証明書を交付し、世田谷区などの一部自治体もこれに同調している。

 これも大いに疑問だ。「性的少数者」(LGBT)とされるレズビアン(女性同性愛者)やゲイ(男性同性愛者)らの基本的人権は守られるべきだが、結婚制度や家族制度の在り方とは別の話だ。わが国は憲法で結婚を男性と女性の「両性」の合意のみに基づくとしており、一夫一婦制と法律婚によって安定した社会と家庭の営みを保障してきた。これを揺るがす事態は避けるべきだ。

 民主党は「性的少数者差別解消法案」を今国会に提出する方針を固めたと伝えられる。しかし、同法案は宗教や言論の弾圧につながりかねない重大な疑念がある。

 LGBTは性倫理を破壊する「変態(性的倒錯)」「異常性欲」として反対したり忌み嫌ったりする考えは伝統的な宗教を中心に根強くある。こうした主張が「差別」とすれば、それこそ宗教や言論の自由を脅かす。

 脅かす動きを容認するな

 最も価値あり、美しいとされた家庭生活を脅かす動きを容認せず、「家族の絆」を輝かせる2016年としたいものだ。
(1月6日付社説)