非指示的心理療法の学び
松戸市の古書店で見つけた一冊の小さな本「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの小型本だが、何度か読み返して興味を持った。
著者はノートルダム聖心女子大学理事長・渡辺和子氏で、父親の錠太郎氏は昭和初期の陸軍教育総監だったが、2・26事件の犠牲者の一人であったという。その苦悩にもめげずにアメリカ留学をなした。
明治の開国以来、大正・昭和と日本の近代化は目覚ましく、彼女はその波に揉(も)まれながらノートルダム修道女会に入り、アメリカに派遣留学され、ボストン・カレッジ大学院で学ぶ。
そこでカウンセリングの講義を受けた頃、カール・ロジャース博士に会い、博士が提唱した“非指示的”と呼ばれる心理療法を学んだのであった。
当時の日本での心理学は、精神分析が主流で、相談者の悩みを聞き取り「それはダメ」とか、「それは間違いで、こうしなさい」などの指示を与える助言的な療法が一般的だった。
そのカウンセラーの分析が当たっていれば良いが、間違った見解を与えることもあり、相談者にさらに絶望感を与えることは明白だ。
私も北海道の教員時代に、この新しいカール・ロジャースの心理療法を札幌で受講し、参加者の多くは少年院などの職員ばかりだったが、興味を持った。1週間ばかり“ノン・ディレクティブ(非指示)”カウンセリングを受講したが、当時の日本の心理学界では「効果無し」との情報が出回っていた。
しかし、マンモス中学、高校の生徒らの非行と麻薬等による暴力事件が多発する中で、何らかの方策があればと思っていた。その方法を知って、なるほどと納得して旭川に帰り、中学2、3年の教科を受け持つ私は、教師らに呼び掛け、暴力事件等の問題児の提供を願い出た。
そこで中1の男子生徒を預かり、校長室を週1回1時間空けてもらい、その生徒と対座した。
「この1時間は、あなたの時間、好きなように過ごして良いのよ。ただ校長室だから、ガラスを割ったり、机を壊したりしてはダメよ。絵を描いたり話をすることは自由よ」
次の週に彼は、空けてもらった校長室にカバンを抱えてやってきた。彼はほほ笑みを浮かべて、カバンから画用紙を取り出し、色鉛筆を使い何かの絵を描いて1時間が過ぎた。次の週は、ノートに何かを夢中になって書き出した。次の週は、小さな本を取り出して読みふけっていた。
その間に一度、彼の家を訪ねた。
母親に会い、家庭の様子を聞いた。父親が職探しをし、家の中が少々ごたついていたことを知った。少年の心が落ち着かない理由が分かった。少年にとって週1回の校長室での1時間は、自分を取り戻す1時間だったに違いない。
3カ月ほど過ぎて冬休みに入った。休みが終わり1月にカウンセリングルーム(校長室)に来た中1少年に続けるかどうかを聞いた。彼はほほ笑みながら首を横に振った。
以来、彼の暴力は収まり、私はその生徒のことを忘れていった。
2年後の3月、わが家に中3に成長した少年と母親が訪ねてきた。私は思い出して「進学はどうするの」と聞いた。「僕は植物が好きだから農業高校へ行きます」と答え、母親とともに笑顔で去っていった。