がん患者救う本庶氏の研究
先月初め、テレビ画面にノーベル賞受賞が決まった本庶佑京都大特別教授(76)の喜びの笑顔が出た。
がん免疫療法を一歩前進させたことによる医学生理学賞で、日本人としては2年ぶり、26人目のノーベル賞受賞者となった。
“死病”と思われたがんの療法に一筋の灯火が点(とも)されたことになる。
受賞発表を新聞で読み、その記事をバッグに入れて持ち歩いていた私は、改めてノーベル賞の授賞理由となった「オプジーボ」なるがん治療薬がどういうものか、その切り抜き記事を読み返した。小野薬品工業と米国のBMS(ブリストル・マイヤーズ・スクラップ)と協力して共同開発し、2014年に発表、多くのがん患者に光明をもたらしているという。
この発表まで、私はがんは治らないもの、と思い続けていた。
かつて、私を最初に7人の子を産み育ててくれた母は、58歳の若さで子宮がんでなくなった。その悲しみは消えることはない。
最近も、山岳会の札幌の友人の長男の妻が横浜で51歳の若さでがんを患い死亡したと聞かされた。その長男が中学1年の孫娘を連れて父親宅に戻り、同居を始めたのだという知らせがあった。がんはいまだに“死病”と私は信じていたのだ。
今までも、抗がん剤として治療薬はあるとは聞いていたが、それは特定のがんにしか効かず、それが長年の本庶教授の研究でさらに進み、“オプジーボ”という治療薬ができて、死病でなくなったという夢のような話である。がん治療の「第4の道」と呼ばれる免疫療法であり、本庶教授の研究室で発見された分子「PD―1」の研究でがん細胞が免疫にブレーキをかけるのを解除する不思議な仕組み……。
がん細胞は転移する、というのが今までの私たちの常識だった。体内のどこかに芽生えたがん細胞は体内のどこかに転移するというのが、今までの私たちの半ば諦め気分だった。そのため元気な若者が、がんを発症すると勢いのあるがん細胞はどんどん広がり、その結果、死に至ると思われていたのだ。
だが、人間の知恵は無限だ。本庶教授の学者としての高貴な情熱で研究が続けられ、小野薬品工業が協力してがん細胞の拡大をストップする仕組みを創(つく)り出したのである。
本庶氏ノーベル賞受賞を報じた日経新聞によると、免疫学は日本のお家芸と言える分野だという。免疫研究の層は厚く、世界を牽引(けんいん)する成果を生み出してきた。免疫グロブリンEを発見した免疫学の巨人の一人、石坂公成ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長はじめ、石坂氏が米国で育てた日本人研究者だった大阪大学の元学長の岸本忠三氏、同大前学長の平野俊男氏らの免疫研究の功績を伝えていた。世界的に競争の激しい分野だが、国内の切磋琢磨(せっさたくま)が優れた研究を生んだというのだ。
かつて結核は死病と思われたが、戦後の米国医学による抗生物質で治療できるようになり、恐れられていたほどの病気ではなくなった。今度は日本の医学ががんへの恐れをなくしていくことを期待したい。





