損失大きいブラックアウト

 9月6日早朝の震度7の大地震となった北海道胆振(いぶり)東部地震は、死者41人を出した。北海道全域で停電(ブラックアウト)となり、商店街はもちろん、新千歳空港の飛行機も飛ばず、JR各線もストップ、住民や旅行者を2日間、暗闇に閉じ込めた状態だった。

 今回の地震で、胆振支庁東部の厚真町は震源地に近く、死者数も多かった。札幌市も6日早朝から停電となり、ガス・水道も止まり、電話も通じず、外へ出ようにもマンションのエレベーターも止まってしまった。

 友人との打ち合わせの予定があった茶店に行くため、やむなく階段を降りて外へ出たが、JRや地下鉄もストップして、街ごと完全な麻痺(まひ)状態。タクシーを拾い、ようやく安堵(あんど)の胸をなで下ろして運転手と地震の状況を話し合う。

 道路の信号は全て止まり、信号無しの国道、市道を運転手は左右を見ながら注意深く車を走らせ、ようやく目的地のグランド・ホテルに着いた。

 照明のないホテルでも窓際は明るく、ロビーのソファに座り、“やれやれ”という気分で一安心。ところが、旅行者がストップした空港と動かぬ電車のため、薄暗いホテル・ロビーのソファに満席の状態だった。

 ホテルマンが提供する入り口ロビーに置かれた給水と、紙コップだけが命綱という異常事態で、足止めの宿泊客たちも困惑状態。友人と会う約束だったホテルの茶店はもちろんのこと、館内の店舗も外の商店街も全て閉店で、電気と水道が停止して道内全体が機能不全に陥ったようだ。

 グランド・ホテルは、さすがに足止めされた宿泊客を配慮し、食事の用意のアナウンスがあった。

 30年も前に、拙著「日教組が崩れ去る日」(善本社)の出版記念会に、音楽家の黛敏郎氏を札幌市に招いたが、「僕はグランド・ホテルしか泊まりません」と言われたことを思い出し、一人で苦笑したりした。が、今、その札幌一の大ホテルでも正面玄関さえ照明が無く、薄明かりのロビーでホテルマンが客の応対をしている。

 窓明かりを頼りにロビーの茶店の片隅のソファに腰を下ろした私も、大きな自然災害に対する都市の弱さを目の当たりにした驚きの一日だった。テーブルを挟んで前の椅子に座った、まだ若い男性は、個人経営コンサルタントとのことだったが、やはり東京へ帰れず、しきりに電話連絡をしていた。

 停電の原因となった、地震で事故に見舞われた苫東厚真発電所は、石炭の火力発電所とのこと。最近の猛暑や豪雨に温暖化が考えられ、温室効果ガスを多く排出する石炭は時代後れではないのか。

 しかし、原子力反対運動で泊原発は停止中だ。戦後70年余りが過ぎた今、沖縄とともに原子力反対運動の強い北海道の不幸を、ふと思ったりした。

 停電で全てがストップする損失。その代償を、一体誰が背負うのだろう。津波や嵐も地震も絶え間なく自然災害が起こる日本列島である。人間の知恵と努力が、人々を救う。

 太陽光でも原子力でもよい。いずれも発電に生かす人間の知恵であることを強く認識していくチャンスかもしれない。