現行憲法に家族解体の理念

改憲による「家族の保護」急げ

法律婚軽視の改正民法

 男女の間に生まれた子(婚外子)の遺産相続分を法律上の夫婦の子(嫡出子)の半分とした規定を削除した改正民法が先の国会で成立した。最高裁が今年9月、冒頭の規定を違憲とする判断を下しており、避けられない法改正だったとは言え、法律婚の軽視ひいては家族の崩壊につながるのではないか、との懸念を提起させている。

 削除された民法の規定については、法律婚を尊重するとともに、婚外子を保護するものとして、大法廷は1995年に、憲法に反しないとの判断を示していた。今回、これを覆した最高裁判事の判断に対しては、伝統的な家族の価値を重要視する保守派を中心に疑問を呈する声が強いが、判事14人の全員一致の判断であることを考えると、問題の根は裁判官の思想や資質を超えて現行憲法にあるとみるべきだろう。

 換言するなら、施行から66年を経て、連合国総司令部(GHQ)によって現行憲法に埋め込まれた家族解体の理念が頭をもたげ出したのである。したがって、わが国においては、憲法を改正し、家族を保護する条項を設ける以外に伝統的な家族を守る道はないというのが筆者の基本的な考え方だ。

 現行憲法の基本原理は「国民主権」「基本的人権」「平和主義」にあり、その根底にあるのは「個人の尊重」の理念であることは、日本人ならだれもが学校で習うことだ。その一方で、家族の保護規定がないのが現行憲法である。

 他の国の憲法に家族の保護規定を設けているのは「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」と、「世界人権宣言」にあるように、家族が「公共」を構成する最小単位であり、社会の発展のためにそれを保護することは国や自治体の責務であるとの考え方からだ。その上で、「個人の尊重」との調和をはかって初めて健全で秩序ある社会が期待できるのである。

 だが、わが国の憲法が家族に触れているのは、第24条のみである。しかも、それは「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、さらには「配偶者の選択、財産権、相続、居住の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と、男女の平等と個人の尊厳を強調する観点で述べているのである。

 これに「法の下の平等」(第14条)を加えた憲法の理念を徹底すれば、民法の規定する家族像とに齟齬(そご)を来すのは必然であろう。

歪んだ個人主義が蔓延

 戦後の日本においては、歪んだ個人主義と利己主義が蔓延(まんえん)しているが、それは日本の伝統的な価値観と乖離(かいり)した現行憲法に起因する問題と言える。GHQは、米国に敵対できないようにするため、憲法を通じて、日本人の精神力の源となっていた家族の解体を狙ったのである。

 最高裁が伝統的な家族の保護よりも「個人の尊重」に重心を移す姿勢を明確にしたことで、今後は日本の伝統的な家族観を否定する左翼・リベラル派は、高度生殖医療技術の進歩にともなう親子関係の認定や離婚後の再婚禁止期間の短縮、選択的夫婦別性などで、その動きを活発化させる恐れがある。憲法改正によって、家族の保護を明確にすることは、待ったなしの課題である。