共産化目指した日教組 指令に黙従せず教師辞す
教育が社・共の道具に
以前にも一度、五木寛之氏の「自分という奇蹟」の文面に触れたことがあったが、キリスト教信仰を思わせる一文があった。
同書の小見出し“一粒のライ麦の根が、どれだけ長いか”の中で、米国のある大学で、ディットマー教授がライ麦の根を調べたところ、四角い箱の中に植えた一粒のライ麦の根が、何と1万1200キロメートルあったという話をしている。
一粒の麦のタネが、懸命の努力をした証明が、1万キロの根となって現れたのだ。
聖書に「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一粒にてあらん。もし死なば多くの実となる」との言葉があるが、人の命も多くの歴史を変える死の姿がある。
数年前までの年末は、四十七士の赤穂浪士の「正義」がよくテレビでドラマになったが、最近はそれもなくなり、タレントの笑いの中で終わるようになった。父方の先祖が、四十七士の一人、倉橋伝助であることを聞かされ、夫や息子らと泉岳寺に何度か詣(まい)ったことがある。
私は、戦後の日本を共産主義国にしたくないとの一念から教職を辞した。この30年ほどは調査と父母の教育相談で過ぎていった。教育が政党政治の具にされたのだ。
6歳から始まる学校教育は、子供たちに知性と人格を与え、自立させることが目的である。知育、徳育、体育のほかに芸術的個性を持つ子供もいる。子供の人格形成と能力を最大に発揮させ、あらゆる技術、能力を駆使して社会貢献をし、父母が安心して世代交代ができる国民を養う、それが教育の目的であろう。
そのために国も地方自治体も多くの税金を使い、有為有能な人材を育成し、国や地方の健全な発展を期待して教育予算を組むのである。
それが教師の政治活動で狂ったのだ。
一般の父母は常識的に考え、そんな異常なことはあり得ない、教師は人格者なのだからと信じている。
しかし、その判断が間違いであることを知らなければ、今度は自分の子供を不幸にすることになるのだ。
また、戦後日本は平和な中で経済大国となったが、半面、欧米からは“エコノミックアニマル”などと陰口を言われ、心ある人々を悩ませた。その理由も教育にあった、と私は思う。
欧米の植民地からアジアの解放を願って開戦に踏み切ったが、残念ながら戦力に差があり敗戦という大きな傷を受けた。
教育は日教組による革命思考で、組合指令をそのまま受け容れ、流された。社・共政治集団と化し、その実態は異常なものだった。
しかし、多くの男女の職員は心中に不安を感じながらも、その流れの中に黙して安住を求め、当時の社・共の両党の指令のままに動いていた。
私が教師を早くに辞めたのは、その偽りの世界に黙従する教師の世界に嫌気がさしたからであり、健全な親子関係までも崩壊させる危険を知ったからでもあった。
平和と自由、民主主義を口実に、教育界を混乱させ、“道徳”教育まで反対し、正常な教育を行うための管理責任を求める“主任”制度化まで反対する日教組の思惑は、裏で日本の共産化を図るためと、徐々に分かってきたからだ。
教師の政治的な偏向を改め、正常に子供たちの知育、徳育を高めようとする文部省(現・文部科学省)の政策に反対し、日教組はしばしば半日スト等を強制させていた。
事なかれより意見を
日本人の“事なかれ主義”は、下手をすると、間違った方向に国民を誘導することになる。戦前の軍国主義がそうであった。
私たちは、もっと意見を言うべきであり、それを公に発表する努力をすることだ。“失敗は成功のもと”と、昔から言われている。
失敗して、へこむのではなく、それを学びの糧とすれば良い。何度でも失敗して最後に目的を果たして笑う日が来れば良いのだ。