日本国憲法施行70年 今の憲法は民族精神の敵
民族精神を守る義務
5月3日は今の憲法の施行から70周年だった。今の憲法を私は否定する。それは憲法としての役割を果たせず、むしろ逆効果が大きいからである。それは単なる安全保障上の問題だけではない。もっと根本的な問題がある。
憲法とは道具である。せいぜい「近代国家」という道具の設計図に過ぎない。それは民族精神を孵化(ふか)させるための道具である。
それならば民族精神そのものか、少なくとも民族精神の孵化器としての「近代国家」を守り発展させることに関する、国民の義務等が明示されているべきだ。だが今の憲法には、それが全くない。そのことが多くの不整合を民族精神と「国家」そして法体系に与えている。
いわゆる“有事法制”は良い例だ。小泉内閣で成立した国民保護法を“有事法制”と考えている人は多い。だが国民保護法は、武力攻撃事態等における国民の避難、誘導等に関して定めているだけである。
つまり国民の生命、財産といった権利を「国家」が守るための法律である。民族精神や「国家」を国民が守る義務とは無関係である。まさに“今の憲法の精神”の発露である。従って例えば交通インフラに勤務している人でも、武力攻撃事態等では避難が優先され保護の対象になる。
日本以外の普通の国では、逆になる。武力攻撃事態等の有事の際には、交通インフラに勤めていたら、運行を続けることで「国家」を守ることに協力する義務が、国民の側にも要求される。勝手に避難すると罰則の対象になる場合もある。
また日本以外の国では、徴兵制ではなくとも、軍の予備役等の制度も日本の予備自衛官より遥(はる)かに充実してもいれば、日本の消防団等とは違った「国家」を守るために軍や警察等と協力する国民の組織等も発達している国もある。
そのような組織を形成することは、今の北朝鮮情勢等を考える時、急務ではないか? そのような組織で、たとえ何回かに分けて各回は数カ月程度でも、トータルでは半年か1年の訓練を受けた経験のない人には、高卒ないし大卒の資格を与えないといったことも、本気で考えるべき時期だろう。そのようなことは今の憲法の下でも可能だと思う。
もちろん憲法を改正して「国家」を守る国民の義務を明確にし、国民保護法ではない真の有事法制を作る。例えば交通インフラに勤めていれば、国家の指示がある限り運行を続けねばならず、国家の許可なく避難できないことにする。それが理想である。
その理想を実現するためにも前述のような国民組織を作ることは重要だ。国民の国家や憲法、安全保障等に関する意識を変えて、今の憲法の改正が容易になる。
それは単に道具としての「国家」の設計図を変えるだけではない。今の間違った憲法の下で歪(いびつ)にされた、日本の民族精神の復権にも大きく貢献するだろう。
武士道精神の復活を!
日本の民族精神の主流は、確かに『源氏物語』に象徴される女性的な優美の価値観だ。そういう意味では今の憲法の一部は、不思議に日本の民族精神の一部に適合するのかもしれない。
だが日本の民族精神の奥深さは、主流と正反対の男性的な武士道の価値観が、巧みにバランスを取ることで、常に発展し続けて来たことにある。その後者を今の憲法は否定している。そこで日本の民族精神は、70年間発展を疎外されてきた。真に優れた文学等は戦前の教育を受けた世代以降から出ていないように思う。
今こそ武士道精神も復活させなければならない。そのためにも憲法の改正か、少なくとも有事対応国民組織の形成は不可欠と思われる。