自衛隊災害派遣に感謝 「進歩的文化人」は嘘つき
首都圏に不要とは愚か
正確な記憶はないが、確か昭和50年代のこと、在日米軍が使っていた軍事基地の一部を日本に返還してきたことがある。対象は富士山麓の演習場のほか、朝霞や入間や水戸の射爆場跡地など。かつては旧日本軍が拠点としていた土地だけに、立地条件はいずれもいい。自衛隊だけでなく、警察や科学技術庁他からも跡地利用の要請が相次いだ。そこで、国有財産審議会(当時の大蔵省所管)の下に返還財産処理特別委員会が設けられ、前法制局長官や現職の東大教授らお歴々のほか筆者(当時経済論説記者)も加わることになり、返還基地を視察して回った。
前置きが長くなったが、結論として自衛隊にも使用を割り当てることに委員会がまとまった。まさにその時、いわゆる進歩的文化人に属する人々が、委員会案に対する反対の“のろし”を上げた。いわく「首都圏に自衛隊は要らない」と。「何をばかげたことを」と筆者は痛感した。他の委員諸氏も同じ思いだったに違いない。「まさかどこからかミサイルが…」とまでは考えなかったが、周知の通り日本は大変な災害国家の一つである。例えば大正12年の関東大震災、死者と行方不明者を合計すると約15万人もの犠牲者が出ている。天明3年(1783年)の浅間山噴火の直後には異例の冷害で農作物の出来が悪く大飢饉(ききん)となり、餓死者が続出したとの記録もある。富士山爆発となれば、その程度いかんで首都機能が不全に陥る心配もないとはいえない。そんな非常事態の場合、自衛隊が首都圏の要地にいなければ救援活動も容易には進むまい。「首都圏に自衛隊は不要」とは、全く独善的で愚劣な発想という外ない。
愚劣な発想をする進歩的文化人とは、その正体は―とも、筆者はその当時つくづく考えた。彼らは多かれ少なかれ左翼勢力の行動や思想に同調しようとする。社会主義社会への移行をもって“進歩”と心得る。保守の政治勢力が新しい政策を策定し実現しようとすると、声を上げて反対する。得てして文化人に多く学者も少なくない。具体例の一つが昭和35年全学連を中心にした反安保闘争だが、成田空港建設の当時にも反対勢力の背後には進歩的文化人勢力がいた。例えば社会党もその一勢力だった。だが、もう一つの特色は節操の乏しさ。成田に反対した文化人は政治家も含めて今はこの空港をも利用しているに違いない。
東日本大震災等で活躍
進歩的文化人は社会主義社会への移行が社会の進歩だと考えているように、筆者には思える。だがしかし、社会主議社会こそ、実はまぎれもない階級社会だったことは、疑いようのない現実だった。昭和30年5月、筆者は当時のソ連機に搭乗したことがあり、安全ベルトがすり切れて用をなさなくなっている事実に気付いて驚いたものだった。モスクワ市内の大型商店を見て回っても、商品は量も少ない。共産党幹部専用の商店は別にあり、そこでは輸入品も手に入る―と聞いた。「ないはず」の階級社会が、そこにあった。中央指令型の社会主義統制経済の実態をまざまざと見た思いだった。後の市場経済への転換は、歴史の必然だったに違いない。
先の阪神淡路大震災や東日本大震災でも自衛隊が救援活動を精力的に展開している。進歩的文化人という言葉を聞かなくなって久しいが、「首都圏に自衛隊は不要」と叫んだ人々は、災害地で自らの危険を顧慮することなく被災者たちの救援のために活動中の自衛隊員たちを、一体どんな思いで眺めているのだろうか。