親の言葉で傷付く子供 厳しい叱責も強い愛情
「親毒」の負の連鎖反応
一昨年の暮れのことだが、1冊の新刊書『親毒』(コスモトゥーワン)を編集者のY氏から頂いた。表紙に副題「なぜこんなに生きづらいのか」と書かれ、さらに「自分が何者かわからない!」と続く。
著者も“ハートカウンセラー”の肩書きに「KOKKO」のペンネーム。Y氏に著者の年齢などを尋ねると、50代半ばの女性のようだった。
読み進むうちに、学校でいじめに遭った小学生時代に、その苦しみを母親に告げることができず、心の中の苦しみが顔に表れて、「魚の死んだような目」と母親に言われ、魚屋で死んだ魚を見に行ったという。
また、「あなたみたいな子が少年犯罪に走り、鑑別所に入ったりするんだろうね」と母親に言われたという。
子供時代に学校でのいじめを母親に言えなかったつらい思いが、大人になって今度は自分の子供に向けられ、異常な厳しさで子供を苦しめる負の連鎖反応…。それを著者は「親毒」と称して子育ての親に警告を与え、子育てに悩む人たちの相談を受けている。
20代で「親に虐待を受けて育った」という女性と友達になり、自分も親から精神的虐待を受けていたと自覚し、著者は親から離れる決意をするという若い頃の体験を語る。
「ホントにグズでのろまなんだから」……。
「やっぱりダメじゃない」……。
「あんたなんか生まなきゃよかった」……。
何度も言われた否定的な親の言葉の数々。
そして、彼女は3人の子の親となる。自分もまた子供を叱りとばして、「この子のために叱っている」と思いながらも、本当は自分のストレスをぶつけているだけなのかも知れない、と反省する著者の姿もそこにあった。
昔、親から聞いた、「子を持って知る親の恩」の言葉を考えさせられる。
彼女は心理学を学び、同じように親の言葉で傷付く人々の相談者となり、人生を強く生きる力を与えているようだ。
かつて、「母原病」なる言葉が流行した時代もあった。
子を思う親の心は、父よりも母親に強くあるのは当然で、産みの苦しみを経た後の親としての責任感と子供への愛情は父親の比ではなく、子供が抱く心身の痛み、苦しみが、わが身の痛みとなって感じるのが母親なのだ。
それだけに子への強い愛情は、時に厳しい言葉となって表れるのは当然のことである。
昔、「虎は我が子を崖から落とす」という話を聞いたことがある。崖から這い上がってきた子だけを親は育てるという話であった。
人生を正しく生きるには厳しいものがある。戦前の「修身」は廃止されたが、その厳しさを強く生き抜くことを教えるのが、かつての学校教育であり、教師であった。
学校の教師が「親」の心を教えず、幼少の子供らが、勝手気ままに人間社会へ出て行けばどうなるか、気性の強い子供ほど、親や大人への反発は強くなり、自立不能の子らは生きる能力を与えられず、犯罪へと陥っていくだろう。まるで暴走自動車のようなもので、反社会的人間として拒絶されることは目に見えている。
『親毒』の著者の母親も、まさにそれを心配したのである。
父母に感謝できる幸せ
親が抱く子への愛情が強ければ強いほど、その言葉は厳しい叱責になるのは当然なのだ。著者は3児の母となって母親の愛に気付き、賢く悟って心理学を学び、同様に悩む人々の相談相手になった。
古今東西、いつの世も人は悩む。しかし、今、自分は生きている、それだけでもありがたいと父母へ感謝できる人こそ幸せ者と言えるだろう。