民主主義の一長一短 暴走や大衆迎合の恐れ

健全な世論で善導を

 日本では、民主主義が絶対と考えられているか? 民主主義とは、リーダー選出の一つの方法であり、民主主義が最良かを考えてみたい。

 アリストテレスの政治学に、国家体制には、①王制(君主制)、②貴族制、③共和制(民主制)、④僭主(せんしゅ)制(独裁)、⑤寡頭制、⑥民主制(衆愚政治)があるとされている。

 ①と④は君主制。②と④は貴族制。③と⑥は民主制である。

 君主制、貴族制、民主制でも、そのトップの権力者が善き政治を行えば、国民は幸福になるわけで、悪政を行えば国民は不幸になる。以上の六つの中でも、最初の三つ(①②③)の体制が正しいとされている。なぜなら公共の利益を考える体制のみが正しい政治体制であるからで、後半の三つは、その目的から外れて支配者の利益を求める国家体制だから間違っているわけだ。

 重要なことは、同じ国家体制でも、良いものと悪いものがあり、「(国家、国民にとって)共通な利益」を追求する政治が善き政治で、「私利私欲」を追求する政治が悪しき政治というわけである。

 英国の元首相ウィンストン・チャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と述べている。これは、逆説的に言えば、現代は民主主義しか他にない、最良ではないがというのである。

 トクヴィルによれば、民主主義の理念は、「知性に適用された平等主義」とのことで、「有権者の多数派の支持によって代議士を決定し、代議士で構成された国会の多数派によって政治が動かされる。このような民主主義の制度が最善の決断を導く、あるいは一定程度健全に機能するためには、国民世論の多数派が健全な判断の力を有している場合に限られる」「民主主義は、少数の政策決定者の間違った判断による暴走を食い止めるための制度という意見もあるが、しかし、多数派の暴走を止める機能に関しては全く言及がなされていない」といい、ヒトラーは民主主義によって生まれた。

 日本では、デモクラシーの訳語を民主主義としたが、民衆政治と訳せば、それは単に政治の制度の一つと理解され、一つの政治の制度には欠陥も誤謬(ごびゅう)も存在すると理解できた。しかし、民主主義という訳語を与えたことによって、一つの理念、つまり民衆の多数派の決断に正しさや正統性が付与された。だから「民主主義を守ろう」が政治スローガンとなった。

 さらに、多数派の決断に正統性を付与するような理念は、容易に少数派の排除や弾圧につながる危険性がある。多数派の欲望が主権者の主張となることの結果は、恐るべきもので、多数派とは違った性格なり態度なりを示すと排除されることになる。

懲りて「一強多弱」に

 佐伯啓思京大こころの未来研究センター特任教授は「英国のような階級闘争のない日本には、2大政党のような根本的対立が生まれない。政治はどうしてもポピュリズム(大衆迎合)に向きやすい」と述べている。

 竹森俊平慶大教授は、「日本の民主党政権は、自民党への不満がテコとなった一種のポピュリスト政権で、政策プログラムが準備不足だった。だから政権を維持できなかった。その後の自民党政権が安定しているのは、国民がポピュリズムに懲りたからでもある。政策プログラムを欠いた政党に政治を任せれば、行き詰まり、政治混乱が生活に跳ね返るのが明らかだからだ」と述べている。

 昨今の安倍政権の「一強多弱」現象は、国民の「ポピュリズムが実際の政治に生かされた場合、惨めな結果に終わるという観測が、ポピュリズムへの最大の武器だ」(竹森教授)ということだ。