戦後70年の忘れ物 心を失い金儲けに捌け口

戦い続けた愚かさ響く

 戦後70年、靖国神社に参拝し、亡き戦死者の霊に感謝しながらも、この大戦が敗戦となるまで戦い続けた愚かさ。これは、アジアを救う、という名目であっても自国を犠牲にする必要はなかったのだ。

 開戦前、海軍大将山本五十六は「戦えるのは1年か1年半。勝ったときにやめて講和条約を結びなさい」と、時の指導者に警告しているのだ。それを、なぜ3年8カ月も戦い続けたのか。

 何百万もの兵、若者、国民を死なせ、愚かな長期戦で首都東京を焼け野原とし、広島、長崎の地方まで原爆を2度も落とされた、その責任は東京裁判で裁かれることになった。ところが、今では東條英機ら処刑されたA級戦犯も靖国神社に祀られている。

 せめて国を犠牲にした敗戦の責任者として、彼らぐらいは除いて欲しかったと私は思っている。当時の宮司の判断でそれはできなかったが、敗戦のマイナスはいまだに続いている。

 共産主義国・ソ連(ロシア)の参戦によって北方4島は奪われ、占領下の国内でも共産主義の思想は日教組と朝日等の新聞、NHK等のマスコミで煽(あお)られた末に、日本の歴史も、独特な神道精神も雲散霧消。世界平和を祈願する日本精神は、教育とマスコミで損なわれていった。

 その影響は、より深く戦後の日本人の心を侵食した。欧米人が「エコノミック・アニマル」と日本人を呼んだのは、そんな背景から言ったのだろう。「エコノミック・アニマル」が2倍3倍と増え、海外進出する経済野獣となったのだろうか。

 十数年前のことである。教育に関する講話の後、元新聞記者だったという年配の男性が近づいてきて1枚の手書き文字のプリントを下さった。ノートに挟んで暫く忘れていたが、ふと見つけて読み返した。それをご紹介しよう。

日本を心配するアジア

 “かつて日本人は清らかで美しかった。かつて日本人は親切でこころ豊かだった。アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命尽くしてくれた。

 何千万人の中には少しは変な人もいたし、おこりんぼうや我がままな人もいた。自分の考えを押しつけて、いばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。

 でもその頃の日本人は、そんな少しのいやな事や不愉快さを越えておおらかで、まじめで、希望に満ちて明るかった。

 戦後の日本人は、自分達日本人のことを悪者だと思い込まされた。学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分達の父祖や先輩は悪いことばかりした残虐非情なひどい人達だったと思っているようだ。

 だからアジアの国へ行ったらひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはしませんと言えばよいと思っている。

 そのくせ経済力がついてきて技術が向上してくると、自分の国や自分までが、えらいと思うようになってきて、うわべや口先では、すまなかった、悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位の偉そうな態度をする。そんな今の日本が心配だ。

 本当に、どうなっちまったんだろう。日本人はそんなはずじゃなかったのに、本当の日本人を知っている私たちは今はいつも歯がゆくてくやしい思いをする。

 自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて、こせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人は、これが本当の日本人なのだろうか。

 自分達だけで集まっては自分達だけで楽しみやぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国の国民のことを、さげすんだ目で見たり、バカにしたりする。

 こんな人たちと、本当に仲よくしてゆけるだろうか。どうして、どうして、日本人は、こんなになってしまったんだ。

 ラジャー・ダト・ノンチック(マレーシア連邦元上院議員)作”