政府はリスクを語れ 自衛隊任務は危険が伴う

「隊員擁護」も政争の具

 5月27日、安全保障関連法案が衆院平和安全法制特別委員会で審議入りした。今月1日までの審議時間が計22時間と、新聞記事に出ていたが、その殆どを私は視聴したことになる。率直な感想は、これでは国民は全く理解ができないだろうということだ。

 自衛隊の出動が必要となる「事態」として「武力攻撃事態」「存立危機事態」「武力攻撃予測事態」「重要影響事態」「国際平和共同対処事態」が定められており、それに関連した法案の「武力攻撃・存立危機事態法」「重要影響事態法」「国際平和支援法」について自衛隊の活動の是非を巡ってのやり取りは、多くの国民にとっては珍紛漢紛であろう。

 そこで野党側は、自衛隊の活動拡大によって自衛隊が戦闘に巻き込まれるリスク(危険)が高まるといった「リスク論」で政府を連日、追及しているのだ。これは国民の率直な感情を狙い、徒らに不安を煽(あお)るために誤った状況の定義づけだけを提供するやり方でフェアではない。

 その急先鋒(きゅうせんぽう)は共産党であるが、「自衛隊を戦地に送り、殺し、殺される戦闘を行う。自衛官の命がかかった問題だ」などと、自衛隊員を擁護するがごとき姿勢である。しかし、日本共産党は「自衛隊は憲法違反の軍隊であるとして、違憲の自衛隊をすべて解散させる」というのが党の考え方であったはずではないか。同じように社民党も、「自衛隊は明らかに違憲状態である」とし、前身の日本社会党は「自衛隊は速やかに解体する」とも言っていた。似たり寄ったりの政党で、自衛隊を政争の具として今度も利用しているだけであろう。

 余談になるが、これら革新市政の自治体の中には、自衛官の住民登録を拒否したり、成人式に自衛官の出席を認めないなど、自衛官に対する不当な差別や基本的人権の侵害を公然と行っていたことを今の若い世代は知らない。憲法違反をしていたのはどちらであるのかは言うまでもないことだ。

 さて、この自衛隊のリスクというものを私が実感したのは35年前に北海道の道北、道東方面の陸自第2師団と第5師団を取材で訪れた時である。当時は米ソ冷戦下、極東ソ連軍の脅威がピークに達した時期で現在の中国の脅威以上の危機感があった。両師団長ともに旧陸軍の士官学校卒業の実戦経験者であったと記憶している。当時の厳しい防衛体制下では「ソ連軍に上陸侵攻されてしまったら我が方に勝ち目はない。部下隊員には多大の犠牲を強いることになるが、持久戦に持ち込み徹底抗戦し、最期は自分が腹を切る」と、玉砕の覚悟を語ったことを思い出す。確かにそれは現実性を帯びていたと今でも思っている。

粉飾せず国民理解を

 自衛官は任官する時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め…」と宣誓を行うが、「危険を顧みず」とは身を危険にさらして任務を遂行することであり、防衛出動だろうが後方支援だろうが、自衛隊の任務ほど危険の伴うことをその特質とするものはないということを我々国民は理解しておかねばならない。

 政府は無用の粉飾をせずに自衛隊の活動にはリスクが伴うことを率直に語るべきである。日本と世界の平和と安全を確かなものとするため、自衛隊の活動が如何に有意義なるかを、その必要性を国民にもっと知らしめてほしい。法は民主国家における国民総意の結集であり、こうして安全保障関連法が成立すれば、自衛隊は国民の総意に基づいて活動ができるのである。