子を持て余す若い親 子育ての真髄を知らず
幼児が泣く時の理由
友人の紹介で、元北海道教育長・吉田洋一氏を訪ね、戦後の教育についての問題点を話し合った。現職引退後のボランティア活動で、若手教師や教師志望の学生たちを集め、某大学講堂を借りて、夏季、冬季の2回、教育者としての心構えを説く「北海道師範塾」を開いたとの吉田氏のお話であった。
大変結構なことで、現役学生たちや若手教師らに人育ての真髄を語っておられることであろう。
人生に引退はないと考えている私も、大いに同感で、何かお手伝いできることがあれば、と考えるこの頃である。
その翌日、次男の仕事の都合で在京中の彼を訪ねるため、機上の人となった私は、ダダっ子を持て余す若い母子に出会った。
幼い男の子は、大声で喚(わめ)きながら、母親の膝の上で暴れている。
見かねてスチュワーデスが、何度か絵本を持って来てくれるが、男の子は絵本に見向きもしないで、一層大声を立てている。
私は隣席が空いていたので、その席に乗務員が鞄や荷物を縛ってくれたが、そのベルトを外して鞄を席の下に入れ、母親に声をかけて、隣席に来るように話した。
初めはためらっていたが、やがて彼女は男の子を抱いて私の隣席に坐った。
私は、バッグから緑色のサインペンを出し、葉書用の白い紙とともに、男の子に持たせた。
暴れていた男の子は、今度は夢中になって、白い紙にいくつもいくつも緑色の円を描いた。
もちろんダダッ子の叫びも暴れもぴたりと止んでいた。
「上手に描けたね、では、黒いペンもあげるから描いてごらん」と、黒いサインペンも持たせた。緑と黒の円が、紙一杯に広がった。
「もう1枚あげるから、東京のおばぁちゃんのお家で、また描くと良いわ」
若いお母さんは、嬉しそうに微笑(ほほえ)んだ。
「坊やはいくつ?」と私は母親に訊ねた。
「2才です」と、笑みを浮かべながら膝の上で、絵を描く男の子を支えている。
「子供が泣くのは、お腹が空いた時、眠たい時、そして退屈すると泣いて訴えるのよ。飛行機が怖いこともあるかもね。だから、何かに夢中にさせれば泣き止むのよ。もうすぐ、弟か妹を産んであげると良いわね。きっと良いお兄ちゃんになるわ」
若いお母さんは、嬉しそうに微笑みながら頷(うなず)いた。
人も動物も肌寄せ育つ
時々街の中で泣き叫ぶ子供の声がするが、振り向くと、ベビーカーに乗せた幼児と、母親らしい若い女性が困り顔でベビーカーを押している。
昔の祖父母は若い息子や娘の傍らにいて、家事をする若者に声をかけ、知恵を与えて赤ん坊を泣かせることはしなかった。
しかし現代は違うようだ。
幼子は親の背や祖父母の膝の上で、暖かな父母の体温を感じながら育ったものだ。
現代の家庭に祖父母の姿は稀にしか見えない。そして、多忙な若い父母は、子供を肌から離してベビーカーで歩く。
1才、2才の幼児は、毛布にくるまれながらも、固く冷たいベビーカーの中で、親から離れて育つ。
動物たちの母子を見ると、必ず母親の傍らで肌を寄せ合い、乳を呑み、安らかな眠りについている。
幼い子供は人間であっても、動物たちと変わらないのだ。
それを忘れている親、教えられずに育った母親、父親は、子育ての真髄を知らない。
親殺し、子殺しの悲しい日本の現状がある。