真っ当な国会安保審議を 「戈を止むるを武となす」

期待外れの不毛な議論

 国会は政治とカネの問題、農水政務官の破廉恥沙汰、NHK会長の言動が何の彼のと、スキャンダル追及に明け暮れて徒らに会期を空費している。そして今度は安倍首相の「我が軍」発言が槍(やり)玉に上げられた。

 3月20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国軍との共同訓練に関する維新の党議員の質問に対し、首相が「我が軍の透明性を上げていくことに大きな成果を上げている」と、自衛隊を「我が軍」と呼称したことが問題だと言うのだ。

 野党側はこの片言(へんげん)隻語(せきご)を殊更(ことさら)とり上げて、「自衛隊は軍なのか」とか、「憲法に陸海空軍その他の戦力を持たないと明記されている。説明がつかない」、「これまで憲法の枠組みの中で積み上げた議論を全部ひっくり返すような話だ」などと大仰に批判して、執拗(しつよう)に追及しているのである。

 全く浅薄の極みとしか言いようがない。こんなものは「我が巨人軍は永久に不滅です」と、長嶋茂雄が引退セレモニーで言った「我が巨人軍」と同じ類いのものであって然(さ)したる意味がないことは明らかであろう。こうも不毛で低俗な議論が続くと、今次国会で本格的な安保論議を期待していただけに失望したと言うよりも、まことに憂慮に堪えない気分である。

 そんな中、自民、公明両党が合意した共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」が発表された。その内容は自衛隊の活動が集団的自衛権の限定行使など5分野で拡充されるといったものだが、両党妥協の結果、複雑晦渋(かいじゅう)な法体系となり、ここで縷述(るじゅつ)ができない繁文(はんぶん)である。

 この方針に基づいて政府が安全保障関連法案の原案を作成し、その後、再び与党協議で法案について検討して、最終合意を経てから政府が法案を5月15日に国会に提出する予定で、漸く国会で法案審議が始まることになる。

 さて、その法案審議はどうなるか。恐らくまた相変わらずの法学論争と、蒟蒻(こんにゃく)問答(もんどう)が繰り返されるであろうことが目に浮かんでくるが、これでは国民の理解は得られまい。

 政府は集団的自衛権の限定的な行使に対応した関連法や、グレーゾーン事態への対処法を整備し、切れ目のない安全保障法制を構築することが我が国の安全保障上、爛頭(らんとう)の急務であることを国民に懇切丁寧に説明する必要がある。

断乎安保法案の成立を

 「海外で戦争をする国づくりを進めることは許されない」とか「日本が望まない戦争に巻き込まれかねない」といった批判は国民の不安を煽るだけのものであり、我が国の安全に裨益(ひえき)するものではない。そうではなく、集団的自衛権の限定的行使や米軍への後方支援活動は、日米同盟をさらに強化して抑止力を高めることになることを諄々(じゅんじゅん)と説くべきである。

 「戈(ほこ)を止むるを武となす」(『春秋左氏伝』)とは、そもそも「武」という字は「戈」と「止」を合わせたもので、戈(戦(いくさ))を止める意味であると解釈されている。つまり「武」とは戦争にならないための備えであり、これこそが抑止力というものであろう。まさに「備えあれば憂い無し」で、抑止力によって平和を確保することが最善の策であることを述べているのだ。

 当該法案の審議が侃々諤々(かんかんがくがく)の議論によって遂行されるならば、今次国会は我が国の安全と世界の平和のために有意義なものになるだろう。安倍首相には断(だん)断乎(だんこ)として安全保障関連法の成立に向けて取り組んでもらいたい。