豪雨災害回避の智恵 「勘」で避難した礼文島民
行政に頼りすぎた現実
先月末、広島県や北海道で相次いで起こった豪雨災害。これから本格的な秋雨の季節を迎えるわけで、まだまだ気の抜けない毎日が続きそうだ。
ところで災害当日、新聞やテレビで刻々と流される被害情報に、多くの国民はあるやり切れなさを感じたのではないだろうか。もちろん、それは行政の対応のあり方だ。復旧作業が始まった今、あらためてそのことがメディアの大きな話題になっている。
広島でも北海道礼文島でも、結局のところ気象庁と地元の間の危機情報のやり取りが、ほとんど機能していなかったようだ。本来であれば、気象庁や都道府県の発表を受けながら、地元行政が迅速に住民の避難行動を促さなければならないのだが、いずれの地域もそうはならなかった。
報道では各社が、1999年6月の広島での土砂災害や、昨年10月に起き39人もの死者・行方不明者を出した伊豆大島(東京都)の土砂災害などを例に挙げ、今回の大災害が起きた理由として「過去の教訓」が生かされていない点を指摘した。
想定を超える雨が、短時間に、しかも夜中に集中したという状況は、今回の災害に実によく似ている。行政は、ある程度の予測はつきながら判断を先延ばし、結局、夜中になってしまったことから避難勧告や指示を躊躇(ちゅうちょ)した。
こうした状況から見えてくるのは、私たち国民があまりにも国や行政の対応に頼り過ぎているという現実だ。頼りの国や行政は、勧告や指示の出し方をマニュアル化できずにいつも対応が後手にまわる。担当大臣が、「空振りを恐れるな」と声を荒げても事態の進展は見られない。それでも住民は行政に頼ってしまう現実がある。
しかし一方で、それを克服している地域のあることもまた事実だ。メディアには、こうした点ももっと取り上げてほしい。礼文島のある自治会では、日頃から緊急時には自主的に判断することを取り決め、今回も行政の勧告の9時間前に避難していた。自分たちの命は自分たちで守るという考えが地域に根付いていたのである。
今回の災害を通して感じたのは、私たちが忘れてしまった智恵を再び思い出すことだ。一昔前には、気象庁や国が避難指示を出すことはなかったはずだ。その土地のことを一番知っている住民が、自らの「勘」を働かせて、事なきを得てきたはずである。
今回、一連の報道の中で、この災害が起きた場所が、過去には「蛇落地」と呼ばれていたことを知った。世界中に残された神話の中では、蛇は水に繋(つな)がる。この地は古くから蛇=水が落ちてくる土地ではなかったのか。このほかにも「蛇崩」や「崩田」など、地滑りを連想させる古い地名は、全国的にかなりの数が残されている。
高齢社会と叫ばれる昨今、私たちは、もっと、過去の災害や土地の言い伝えを知る地域の高齢者の「智恵」と「勘」に頼ってもいいのではないか。先にあげた礼文島の事例も、結局、住民の多くを構成する高齢者の「勘」で避難したのである。
高齢者に学ぶ地域創生
第二次安倍内閣がスタートした。目玉政策としてあげられているのは「地域創生」である。さまざまな施策が考えられるだろうが、高齢化や少子化をネガティブに捉えるのであれば、施策は保護や支援に終わる。そうではなく、もっとポジティブに考え、高齢者の智恵を子供たちに伝えるという、一昔前にはごく自然に行われていた地域づくりをぜひ推進してほしい。
私たち住民も、度重なる災害を今後の教訓とするためには、発想の転換が必要である。行政のシステムに一喜一憂するのではなく、長い間かけて培ってきた地域の智恵を想い起こすことが急務と考える。